2005.9.8. 英語授業「内容理解」についての整理
| 学校で英語を教えるようになってからずっとすっきりしない思いを抱いていたのが、授業における教材の「内容理解」、特に読解はどのように進めるべきかということです。 教科書を使った授業を想定してみますと、たとえば: (1)語句を導入する (2)文法・語法を導入する (3)教科書本文の意味内容を理解する (4)新出事項や教科書本文について練習する という組み立てが考えられます。 このプロセスにおける(3)ですが、私は長い間、生徒に日本語で意味を答えさせて、つまづきがあるようであれば英文の構造を分析して理解させる、という手法から離れることができませんでした。「訳しなさい」と言うこともあれば、意味内容に関するQ&Aという形態もありますが、ともかく個々の文について生徒が理解した状態を保障しないことには満足できないのでした。 そうすると、当然のことながら1回の授業で扱える英文の量には限りが出てきて、授業は単調、進度も遅れがちになりがちでした。多読も必要だし音読もしっかりやりたい、書く練習もいっぱいさせたい、と授業に盛り込みたいことはいくらでもあったのですが、結局いつも散発的にやって後が続かないことばかりでした。 それで、授業の上手な先生はどのようにしているのだろうかと、本を読んだり研修会に足を運んだりしてヒントを探ろうとしていたのですが、なかなか良いものにめぐり合えませんでした。(1)や(2)や(4)については工夫されたやり方がいろいろと紹介されているのですが、こと教科書本文の内容理解に関しては、私が期待するものを得られることはほとんどありませんでした。 もちろん、「内容理解」を扱った本や研修会がなかったわけではありません。しかし、私が満足できなかったのです。「授業の技って言ったって、見栄えのいいところばっかり見せて結局いちばん手間のかかるところは教えてくれないじゃないか…」などと生意気なことを思ったりしたものです。 私が不満だったのは、たとえば次のような活動を「内容理解」と位置づけることでした: ・リスニングからアプローチする。聴き取るポイントを示して、何度も聴かせる。最初は本当に話の大枠だけを聴き取らせ、徐々に詳細な情報をつかませるようにする。 ・絵(ピクチャーカードや教科書の挿絵など)をヒントに教師の説明やOral Interactionを通じて内容を理解させる。 ・ストーリーを表す絵や4コマ漫画を生徒に描かせて、生徒どうしで相談させながら内容を理解させる。 ・和訳先渡し方式。 ・和訳をセンテンスやフレーズ単位でバラバラに与え、該当する英文を見つけさせる。 ・内容に関する発問を示したワークシートを与え、ペアやグループで協力して取り組ませる。制限時間が過ぎたら簡単に答え合わせする。 これ以外にもいろいろありますが、こういったやり方に関して私が一貫して感じていたのは、「生徒が自力で英文を理解する術を教えていない」ということです。 なるほど、これらのような活動を行えば、その時間で扱う目の前の英文に関しては内容理解が達成されるでしょう。しかし、教室を離れて生徒が未知の英文と出会ったとき、指導者の手助けを必要とせずに彼(女)らはその内容を理解することができるのでしょうか。挿絵のない英文などあたりまえ、わからないところを相談できる友人がそばにいることも少ないでしょうし、ましてやワークシートの付いた英文など現実には存在しないわけです。 したがって授業過程における内容理解では、やはり生徒が自力で文構造を解析して意味を把握できるようになるようなスキルを育てるべきだ、というのが私の考えであり、研修会などで発表される「技」はその点を避けて通っているようにしか思えなかったのです。 例外的に私のニーズに応えてくれたのは、「寺島の記号づけ」と「かんべ式5文型」でした。 どちらも英文を品詞をヒントに解析する手段で、前者は、「_○_(セン・マル・セン)」という記号を英文に書き込んでいくことで和訳(→意味理解)を容易にしようというものであり、後者は英文を作る要素の配列をフローチャート的に考えて、左から右に読み下しながら直読直解ができるようになろうというものです。 私自身もこれらを授業に取り入れたことがありますが、どちらも生徒自身が使うツールとしてそれなりに好評でした。(詳しくは「授業実践」コーナー内の記事をご覧ください。「寺島の記号づけ」「かんべ式5文型」)(→付記) ただ、冒頭にも述べたように、このようなやり方では授業が単調になりがちであり扱える英文の量にも限りがあるという問題があるのでした。 ここで仮に、私が不満を感じていたような種類の内容理解を「Aタイプ」、記号づけなどの構造解析からアプローチする内容理解を「Bタイプ」と呼ぶことにします。(注) 私自身はBタイプを支持しつつ、授業運営の実際上の必要性からAタイプの活動も織り交ぜるような授業を展開してきました。表面的な活動はAタイプのもので、その中で答え合わせなどのときに行なう解説がBタイプ、という組み合わせです。このように書くと、いかにも私がAタイプとBタイプを峻別したうえで意識的に2つを組み合わせていたかのような印象を持たれるかもしれませんが、むしろその逆です。何をどのように整理して考えればよいかが見えておらず、そのせいで自分の授業に不満を感じながらも、何をどのように改善すればよいかがわからず停滞していた、というのが正確なところです。 しかし、最近になってようやく見えてきたのが、Aタイプの発想とBタイプの発想は根本的に違うということです。根っこが違うから、Bタイプの発想をもとにAタイプを批判するのは的外れであるし、しかも両者は相容れないものでもない、ということに気がいたのです。 Bタイプの内容理解は、英文から意味を取り出すプロセスそのものを直接的に指導しようという発想にもとづくものです。 これに対し、Aタイプの内容理解は意味を取り出すプロセスには深入りせずに、英文とその意味を結びつけるところまでは簡単に済ませてしまいます。その代わり、意味のわかった英文を使ってさまざまな練習活動を行う中で、意味理解の能力も間接的に向上させることができるだろうという発想が土台にあるように思われます(個々の指導者がそれを明確に意識しているかどうかは別の問題ですが)。冒頭の授業過程でいえば、(4)「練習」を授業の核に位置づけていると考えることができます。 Aタイプが想定する間接的な効果が本当に期待できるのかどうかについては議論の余地があるかもしれません。しかし、英語力(あるいは広く言語能力)の構造はいまだ明らかでなく、どのような学習活動がどのような英語力を向上させるのかについては確定的なことはほとんど何もいえません。逆に、私たちが英語(第2言語)について、明示的に教わっていないことでも知らぬ間にできる・知っていることがあるのは経験的には明らかといってよいと思います。 たとえば、「100万語多読」などの徹底した多読学習においては、わからないところを取り立てて指導するようなことはせず、わからないことはわからないまま受け入れて、とにかく読み進めることが奨励されています。その時はわからなくても、しばらく後に振り返ってみると以前わからなかったところが自然とわかるようになっているという現象が起こるのだそうです。このような例は一つの極ではあるでしょうが、間接的効果を期待する根拠になりうるものだと思います。 また、AタイプとBタイプが両立しないものでもない、ということも重要だと思います。たとえば、最近注目を浴びている和訳先渡し方式では、意味理解の労力を削って練習重視の授業展開がなされますが、練習活動の視点を少し工夫することでBタイプの要素を取り入れるようなことも普通に行なわれるようです。もちろん、ある時間だけは完全に講義形式でBタイプの構造解析を行なうというようなやり方も可能です。 最近の流行はやはりAタイプの内容理解でしょう。私自身も、以前よりは抵抗なくAタイプを取り入れるようになってきました。しかし、その一方で学習塾や予備校などは、Bタイプのアプローチがいまだ主流であるようです。学校と塾・予備校では要求されているものが違うのでアプローチが違うのも当然ではありますが、やはり自分で使える明示的なツールを求める学習者が少なからずいることも覚えておくべきことではあると思います。 さて、このようにAタイプとBタイプを区別したからいったい何なのだ、と言われるかもしれませんが、私自身はこの区別を意識するようになってから、他の先生方の実践を見るときにずいぶんと整理して理解することができるようになりました。 私がAタイプの内容理解が好きになれなかったのは、それが生徒に読解スキルを与えるものではないと思っていたからです。しかし、内容理解は薄く済ませて練習を手厚く行なうアプローチもありうるのだということに気がついたとき、なぜAタイプのアプローチが広く支持されているのかが初めて理解でき、また授業の見方が幅広くなったように思われます。 また、この問題と関連して、本文の内容を字面だけ「浅く」理解するのか、行間や文章の背景などにも踏み込んで「深く」理解するのか、といった観点もあります。以前の私は概して深い方を好んでいましたが、これも深いから良い・浅いからダメということではなくて、浅く扱うことで何を意図するのか、深く扱うことで何を意図するのか、というふうに考えなければいけないということに気がつきました。 要するに、内容理解についてある手法を採用する場合、その手法が前提とする英語学習観をきちんと理解しておくことが大切だという私自身の気づきであり、また英語授業を考える際の一つの論点整理であるとご理解いただければ幸いです。 (注)従来の用語で言えば「トップダウン」対「ボトムアップ」という区別が似た考え方に見えるかもしれません。しかし、たとえばセンテンスの意味を知ることから内容理解を始める(=ボトムアップ)けれども、意味を知る手段は和訳先渡し、という場合もあります。ここで私が問題にしているのは、生徒が自力で英文を理解する手段を指導するか否か、という点ですので、「トップダウン−ボトムアップ」とは視点が違います。 (付記)ちなみに、「寺島の記号づけ」と「かんべ式5文型」については滋賀県の研修で事例発表として紹介したことがあります。「この教科書本文を生徒にどうやって理解させますか?」と受講者に問いかけたところ、やはりAタイプの活動ばかりが挙がったので、「それでは生徒が自力で英文を理解するスキルを保障していませんよね?」と挑発してしまいました(挑発のつもりはなかったのですが)。私の発表技術が拙かったことも大きいのですが、受講者の反応が芳しくなかったことを覚えています。(そのときの発表要旨) なお、その発表から間をおかずに京都で開催されたE-STEPで(株)ICCの鹿野晴夫さんによる「トレーニング」の講義を受け、衝撃的ともいえるほどにインスパイアされました。そこから考え方が大きく揺さぶられ始めたのですが、その揺れの真っ只中に書いたのが『英語教育』(大修館)2004年4月号のブックガイドでした。書いた当時は自分では全然整理できていなかったのですが、今自分で読み返してみると、ちょうどこの時期に私の英語授業観が再び前進し始めていたように感じます。 この記事を読んでくださっている方にはまるで関係のないことですが、なにぶん何でもすぐに忘れてしまう方なので、自分自身の思考を整理するためにも付記として書き残しておくことにしました。m(_ _)m |