『格差をこえる学校づくり』 【志水宏吉(編),2011年,大阪大学出版会,2,000円】
長年にわたる同和教育の伝統が息づく大阪を中心とする関西地域において、個々の生徒が置かれている環境から生じる「格差」を、学校の取り組みとして何とか少なくしようとする試みについて、複数の学校での取り組みが報告されています。理論的な分析・具体的な実践・教員個人の実感・教育行政など、いろいろな角度からの著述が集められていますが、1つ共通しているのは、「普通の教員が集まる普通の学校」に何ができるかという視点だと思いました。
『公立学校はどう変わるのか』 【安彦忠彦(著),2011年,教育出版,1,800円】
標題のとおり、今の公立学校に、行政的に、あるいは社会的に何が求められているのか、それに対応していくために、どのように変わっていくのか、変わらねばならないのか、が、平易な言葉で解説されています。話題は、中高(小中)一貫教育、教員養成、言語活動の充実、教科書、学級規模、道徳教育、評価、地域・保護者との関係、キャリア教育など、実に多岐にわたります。教育界の最新の動向を把握するのに適した本だと思います。しかし、けっして通り一遍の解説書ではなく、著者なりのポリシーの感じられる内容です。特に、保護者や教育関係者以外に対して注文を付けるような部分もあり、教育界のインサイダーとしては心強く感じました。
『教育論議の作法』 【広田照幸(著),2011年,時事通信社,1,600円】
副題は「教育の日常を懐疑的に読み解く」。同著者が書いた『教育問題はなぜまちがって語られるのか?』と同じ方向性を持つもので、より具体的な個別の問題を取り上げ、時には専門的な見地から、時には「あんたちょっと落ち着いて考えてみなさいよ」という常識論から、「その意見は本当に正しいですか?」と、読者に再考を迫ります。教育を語るときに、既に価値が確立しているかのように使われる言葉を、ちょっと距離を取って冷静に捉えなおすにはどうすればよいかが少しわかったような気がします。
『「熟議」で日本の教育を変える』 【鈴木寛(著),2010年,小学館,1,200円】
副題は「現役文部科学副大臣の学校改革私論」。著者は民主党参議院議員。副大臣という地位にも表れていますが、今後の教育界の動向は、この人を抜きにしては語れないと言われるほどの実力者。一時期マスコミでも取り上げられた、一連の「熟議」イベントの仕掛け人でもあります。本書の内容は、「熟議」をキーワードに、日本の教育にとって、今後どのような方向性が望ましいかについて著者の私見を述べるものです。正直なところ、理念的・総括的な話に終始して具体的な指針が見えづらいのが残念ですが、著者の立場を考えると、言質を取られないギリギリの主張として仕方のないことなのかな、とも。それでも、「トップから見た教育論」として知っておく価値はあると思いました。
『教育問題はなぜまちがって語られるのか?』 【広田照幸・伊藤茂樹(著),2010年,日本図書センター,1,500円】
副題は「わかったつもり」からの脱却」。教育に関する言説は、いかにももっともらしく語られる一方で、その正しさが疑わしことが少なくありません。本書は、「教育問題とは、教育に関するある事項について、社会的に『問題だ』とされている問題である」というスタンスから、世の中に広まっている「教育問題」の真偽、あるいは実像を、冷静に捉えようとしています。いじめ、自殺、少年犯罪、家庭の教育力の低下など、なんとなく正しいと思い込んできたことがらについて、「本当に?」と疑う姿勢を持ってみる必要性がよくわかりました。巻末のブックガイドは良心的で、これだけでも教育について学びたい人にとってはたいへん有益だと思います。
『なぜ、国際教養大学で人材は育つのか』 【中嶋嶺雄(著),2010年,祥伝社,524円】
新設の地方公立大学でありながら、その画期的な教育内容から受験生の人気が爆発的に急上昇し、一流企業からも多数の求人が来ることで一躍脚光を浴びる国際教養大学。その学長が自ら、国際教養大学の何がどうすごいのかを述べた本です。内容は、端的に言って大学のPRなのですが、「国際」「教養」という、ともすれば陳腐ともとられかねないネーミングを、まさに体現する同大学の教育のあり方は魅力的です。大学教育の目的を「人材育成」と明確に定義づける点は、大学教育関係者からは異論もありそうなところですが、リベラル・アーツを徹底して重視すること、授業をすべて英語で行うこと、留学を全学生の必修とすることなど、1つの極としては、大学教育の目指すべき方向性を示しているのかもしれません。
『子どものケータイ−危険な解放区』 【下田博次(著),2010年,集英社,720円】
書名のとおりの内容です。携帯電話は、いまや小学生でも所持するようになっていますが、その使用に起因するさまざまな問題に子どもたちが巻き込まれ、あるいは積極的に関わっている現状があります。本書は、子どもに携帯電話を使用させることにどのような危険がひそんでいるかを大人に知らしめ、現状に対する警鐘を鳴らすものです。今となっては携帯電話の所持禁止など、むしろ非現実的な対策とも思えてしまいますが、本書を読むと、子どもにとって有害なものを企業の論理で放置してきたことのツケは大きいと思いました。
『良い子のこころが壊れるとき』 【山登敬之(著),2010年,講談社,1,300円】
これまで「良い子」だと思っていた子どもが、急に不登校になったり自傷行為に及んだりという「心の危機」を発現するとき、どのような兆候があり、どのような原因が考えられるか、そしてどのように対応すべきかについて簡潔にまとめられています。目の前の子どもが見せる言動を理解するためのヒントとして、また、子どもを不要な危機に陥らせないための、大人としての接し方の指針として、とてもわかりやすい本です。
『生徒と創る協同学習』 【神戸大学附属住吉中学校,神戸大学附属中等教育学校(著),2009年,明治図書,2,381円】
神戸大学発達科学部附属住吉中学校が再編により神戸大学附属中等教育学校となるのを機会に編纂されたもの。同校が長年にわたって継続的に取り組んできた協同学習について、その理論的基盤と教育実践の実際が、具体的な事例の紹介とともにわかりやすくまとめられています。生徒をどのように協同学習の文化に引き入れていくのか、また、協同学習を行うことで、具体的にどのような教育的成果が得られるのかが実際的・具体的に示されていますが、その丁寧で体系的な取り組みには感嘆するばかりです。各教科の実践についても紹介されており、英語以外の教科の実践もたいへん興味深く読みました。
『大学受験に強くなる教養講座』 【横山雅彦(著),2008年,筑摩書房,780円】
大学入試の英語や現代文、あるいは小論文で出題される文章素材には、アカデミックな世界では当然視されるような思想的フレームワークを背景に持っているものが少なくなく、そういったフレームワークに慣れ親しんだ者にとって有利に働く可能性が高いということは以前から指摘されています。本書はそういったフレームワークを集中的にとりあげ、たいへんわかりやすい解説を加えています。本書を構成する6つの章のタイトルを眺めると、それぞれ「還元主義を超えて」「言語とコミュニケーション」「脱工業社会の到来」「ポストコロニアルな世界史」「アメリカ化する世界」「現代民主主義の逆説」となっており、それなりの知的トレーニングを経た人であれば、「ああ、あれね」とわかるのではないかと思います。高校生のみならず、大学生の基礎的教養を築くにも良い本ではないでしょうか。
『わかったつもり』 【西林克彦(著),2007年,光文社,700円】
副題は「読解力がつかない本当の原因」。内容は、と言えば、まったくタイトルどおりです。なぜ我々は文章を読んで間違いなく「わかった」と思うのに、実はそれが「わかったつもり」にしか過ぎないことがよくあるのか。平明な語り口ながら、ひじょうに鋭く、ことの本質を明らかにしていきます。読みとは受動的な認知作用ではなく、読み手が能動的にテクストと関わってゆくインタラクティブな過程である、ということは、言語教育に携わる者ならば、いまや常識以前の前提として共有されていることかと思います。しかし、能動的であるからこそ書き手の意向に十分に沿わない読み方や、書き手が言っていないことまで読み取ろうとする読み方が発生してしまい、それが誤読以外の何ものでもなくなってしまう危険性が鮮やかに示されています。クリティカル・リーディングというと、テクストからの意味の形成に読み手が積極的に関わることが肯定的に捉えられることが多いですが、そのマイナス面を認識する手助けともなるかもしれません。
『こころ「真」論』 【高岡健・宮台真司・藤原和博・鈴木邦男・藤井誠二(著),2006年,ウェイツ,1600円】
「That's Japan」シリーズの特別編。3回にわたる連続シンポジウムも記録として出版されたもの。「子どものリアルと成熟社会」「おとなの自覚」「犯罪とこころの復権」という3章から成ります。が、それ以上、この本をどう評すればよいか、私の知力のまったく及ばないレベルで議論が展開されます。とにかく、知的で刺激的。特に「生活世界」「愛国」「重罰化志向」などの議論はとてもおもしろかったです。日ごろから中高生を見ていて、あるいは世の中の動きを見ていて、なんだかスッキリと理解できず居心地が悪い感じを覚えることが多々あるのですが、それを単に道徳的な価値判断で切って捨てるのではなく、社会のシステムとして、よりメタ的な視点から理解することができるように思います。
『初めての教育論文』 【野田敏孝(著),2005年,北大路書房,1500円】
副題は「現場教師が研究論文を書くための65のポイント」とあり、まさにその通りの内容です。教育学のアカデミックな研究論文ではなく、現場教師が自らの実践を論文という形で世に問うていく際に、どのようなことに注意すれば、良い論文が書けるかを、文章の言葉遣いまで含めて具体的にわかりやすく示してくれています。しかも、65のポイントの多くが、1ページか、見開き1ページにまとめられているため、たいへん読みやすい構成です。著者自身が小学校教員として教育研究に携わってきた経験があるからこそ、これだけ読みやすい本が書けるのでしょう。「論文なんて書いたことがない」という教員にとっては、とっかかりのマニュアルとしてたいへんよくできていると思いますし、大学院で論文を書いたことがある人でも、現場の教員としてまとめる論文がどうあるべきかについては、学ぶところが多いのではないでしょうか。
『授業の復権』 【森口朗(著),2004年,新潮社,680円】
「仮説実験授業」や「水道方式」といった、学校教育界の歴史をいくらかでも知る者ならば、必ず耳にするであろう授業方式、あるいは「教育技術の法則化」といった運動における授業観。そういったものを紹介し、それらにどのような意義があるかを解説します。著者の意図が何だったのかは、正直言ってわかりません。しかし、時代を創ってきた教員たちの授業観を知ることで、さまざまなイデオロギーや流行のやり方に惑わされない、「授業にとって何が大切か」を思い起こすことはできるように思います。最終章、著者は喝破します。「教員という人種が欲しいものは、カネでもポストでもなく、無形の名誉である」。これには、「やられた〜!」
『「参加型板書」で集団思考を深める 国語科編』 【平松孝治郎(著),2004年,明治図書,1760円】
板書は教師だけのものではない。「黒板を子どもに開放し、発表の場とする」という考え方に基づき、いかに黒板という超古典的な教具を授業に活用するか。この点について、国語科授業の実際の場面を具体的に示しながら論じています(他に「社会科編」「算数科編」「理科編」もあるのですが、残念ながら「英語科編」はありません)。個々の生徒の学習を、クラス全体で共有し活用する手段として板書を位置づける方策が示されています。板書という地味な活動に焦点を当ててはいますが、決して陳腐ではありません。私たちは目新しい教具や派手な活動に目を奪われがちですが、古典的なものは日本全国誰もが共有できる財産です。そういった古典に現代的な意義を与えることで、個々の教員にとって新たな地平が開けてくるのかもしれません。
『予備校が教育を救う』 【丹羽建夫(著),2004年,文藝春秋,690円】
著者が大手予備校の職員として見てきた予備校の変遷や、予備校から垣間見える学校教育の問題点について、大学入試の動向や社会全体の流れと関連付けながらわかりやすく論じられています。タイトルは「いかにも」な印象を与えるのですが、実際はかなり真剣な教育論で、学校に対する批判も建設的な方向でなされています。「学校の予備校化と予備校の学校化」という皮肉な実態も明らかにされていますが、学校側の人間としては身に覚えのあるところであり、外から学校を眺めることの重要さを改めて感じさせられました。
『齋藤孝の教え力』 【齋藤孝(著),2004年,宝島社,1200円】
教える相手を上達させるための要諦は「練習させること」、教える対象に対する強い思い入れこそが相手をひきつける、事態の本質を捉えた評価とアドバイスを、など、「教える」という行為を成功させるために必要な、本質的な心構えや考え方を平易な言葉で語っています。具体例に乏しく、著者のアドバイスを現実場面と結びつけて応用することが読者には求められますが、教員のように日々教える現場にいる人間にとっては、「そうそう、そのとおり」と納得のいく話ではないかと思います。教員のみならず、子どもの教育に関心のある親にとっても大切な内容が込められている本だと思います。
『学力低下論争』 【市川伸一(著),2002年,筑摩書房,740円】
まさに書名のとおり、「日本人の学力は低下している」という命題をめぐっての論争について、どのような論点について、どのような立場から、どのような主張がなされてきたのかが、わかりやすく整理されています。国際学力調査や学習指導要領については、本書の出版以降にも大きな動きがありましたが、この問題についての俯瞰的な視点を得るには今(2011年)でも充分に有益です。終章では著者なりの教育観も提示されていて興味深く読みました。
『評価される博士・修士・卒業論文の書き方』 【新堀聰(著),2002年,同文館出版,1400円】
「評価される」という頭語を見ると論文の内容のことかと思うのですが、本書が扱うのはむしろ論文の形式面です。文献を集める手続きの紹介や引用の具体的な方法、そして、かなりの分量を割いて、代表的な引用文献の表示システムの解説がなされています。システムのしっかりした大学であれば、こういった論文作成の作法も公式・非公式に伝授されるのでしょうが、そうではない環境にある人にとっては、信頼のおける手引き書であろうかと思います。
『学級を「学びの共同体」にしよう 中学校編』 【長野藤夫・TOSS中学網走みみずくの会(共著),2002年,明治図書,1760円】
書名に惹かれて買ったのですが、まさにそのままの内容です。学級を、単なる個人の寄せ集めではなく、共に学びあう共同体として活かしていくにはどうすればよいのか。今の時代における学校の存在意義にも深く関わってくる内容ではないでしょうか。本書は、「共通のものさしで分析する」「誰にでもできることで迫る」「生徒どうしの働きかけを活用する」といった、集団であるからこそ可能な学校教育のあり方を示してくれます。簡単に真似して実践できるほど浅薄な内容ではありませんが、生徒一人ひとりを大切にしようと思う指導者には充分に読む価値がある本だと思います。
『大学授業研究の構想』 【京都大学高等教育教授システム開発センター(編),2002年,東信堂,2400円】
大学における授業改善に取り組んだプロジェクトの研究成果の報告です。大学における授業研究は小・中・高に比べるとほとんどなされてこなかった領域ということですが、その大学の教員が試行錯誤で授業改善に取り組んだいくつかの事例が紹介されています。高校の教員として本書を見ると、「今さらそれを問題にするか」と言いたくなるほど初歩的な論点までが大真面目に論じられていますが、それだけに教員だれもが直面する指導上の悩みが扱われており、「ああ、わかるわかる」という気持ちで読むことができました。また、授業の分析はさすがに研究者らしく丁寧なもので、学問的な興味からもおもしろく読めるのではないでしょうか。
『大学受験小論文 現代科学の知的論点』 【細水正行(著),2002年,数研出版,1200円】
大学入試の小論文では、「生命とは」「環境問題とは」といった、かなり知的に高度な内容が出題されることがあります。そういった問題に対して小手先の文章テクニックだけではなく、問題の本質を理解した論述ができるようになるための予備知識がまとめられています。「遺伝子工学」や「脳死移植」など個々のトピックについて「何が問題とされるのか」が要領よく解説され、解答例なども示されています。「知ってるつもり」の事柄でも意外とわかっていないということがよくわかるので、受験対策だけでなく一般常識のために読むにも価値があると思います。
『駿台式!本当の勉強力』【大島保彦,霜栄,小林隆章,野島博之,鎌田真彰(著),2001年,講談社,720円】
実力派予備校講師5人が、それぞれの専門科目の立場から、受験勉強に留まらないホンモノの「勉強」とは何かについてそれぞれに論じています。英語、国語、数学、日本史、理科のそれぞれの観点からの主張がなされていますが、不思議とどの著者にも共通する見解が見られるのが興味深い。よく勉強している予備校の先生の前で素直に勉強させてもらおうか、という気持ちになります。高校生が読んでも得るところがあると思います。
『全員参加を保障する授業技術』 【堀裕嗣・研究集団ことのは(著),2001年,明治図書,2500円】
中学校の国語授業において、生徒が全員参加している授業を作るために必要な指導技術が論じられています。具体的な授業場面が例に取り上げられているので、たいへんわかりやすいです。国語と英語では目標とする言語技術が異なるので、本書の議論が即英語授業にも当てはまるというわけではありませんが、生徒の学習意欲を刺激するための発問法など学ぶべき点はいくらでもあると思いました。また、すぐれた授業技術は確固たる思想に裏打ちされているということも、本書を通じてあらためて確認することができると思います。
『迷うからこそ、「理系」!』 【2001年,数研出版,1150円】
高校生向けの本で、進路学習に使えます。タイトルどおり理系のPRで、「数学が苦手だから文系」といった安易な文理選択をしないように、というメッセージでもあります。私自身は文系の生徒でしたので理系分野には詳しくなかったのですが、理系に進んだらどのような仕事ができるのか、といったことも本書を読んでよくわかりました。学級文庫に置いておきたい1冊です。
『フリーターがわかる本!』 【フリーター研究会(編),2001年,数研出版,1150円】
主に高校生向けの本で、進路学習に使えます。フリーターというと高校の進路指導では賛否両論がありますが、本書はフリーターにも様々なタイプがあって一概に良い・悪いとは言えないことを教えてくれます。フリーター本人たちの経験談なども収録されており、高校生が「仕事をするとは」「大人になるとは」「生きるとは」といったことを考えるよいきっかけを与えてくれる本だと思います。
『新版 実証的教育研究の技法』 【西川純(編),2000年,大学教育出版,1500円】
現場の教員が教育研究を行なおうとする際に、何をどのような手順で考え、準備・実施し、分析し、論文に著せばよいかがまとめられています。著者は、大学院における現職教員の研修に携わっており、その経験から、現場の教員が研究を行なう際につまづきがちなところが意識的に取り上げられています。しかし、本書の構成自体は論文執筆や口頭発表の作法までを含めた研究プロセスの全体を見通せる形になっており、かなり包括的に記述されている印象を持ちました。基本的には量的研究の手法に特化した手引書ですが、質的研究についても1章を費やして述べられており、なるべく読者に偏見を持たせないように、という配慮も感じられます。とても勉強になりました。
『できるヤツは勉強法がちがう』 【綿貫淳子(著),2000年,数研出版,920円】
予備校の学習カウンセラーが、自身の指導経験から高校生に対して学習法を伝授します。入試情報の集め方や学習プランの立て方、ノート作成法や参考書の選び方、各教科の学習法など、高校生が学習をする上で大切なことをひじょうに丁寧に教えてくれています。話の内容はたいへん良識的ですが、ひじょうにタメになります。私自身も「なるほど〜!」と思うことが多々ありました。ひじょうに良い本なので、高校生にぜひ読んでほしいと思います。
『教育改革国民会議で何が論じられたか』【河上亮一(著),2000年,草思社,1400円】
標題どおり、「教育改革国民会議」の内部でどのような議論が交わされたかを、著者が一中学校教員としての立場から記録しています。記述にはもちろん著者の主観的なフィルターがかかっているのですが、学校教育の「現場」にいる教員が「国民会議」での議論にどのような評価を下しているかがよくわかり、興味深く読めました。具体的にはエリート教育重視に関わる問題、改革の具体的方策、マスコミの「国民会議」の扱い方など。
『プロの資質を磨く若き教師の三年間』【向山洋一(著),1999年,明治図書,1800円】
著者が今までに発表した著作をテーマに沿って編集しなおしたシリーズ、「教え方のプロ・向山洋一全集」の第2巻。著者の主張は、「教師も、『そういう場合にはこのような方法があります』という『教育の技術なり方法なりを持っている』ことにおいて専門職なのである。」(p.130)という一言にまとめられると私は思っていますが、本書ではそういった主張を軸として、「新卒教師のための十ヶ条」や著者自身の新卒時代の経験などについて述べられています。著者は小学校を主に念頭において話をしていますので、高校(英語)に求められることとはズレがあるように思われる点も少なくありませんが、それでも充分に刺激的な著作だと思います。
『心理学と教育実践の間で』【佐伯胖,宮崎清孝,佐藤学,石黒広昭(著),1998年,東京大学出版会,2800円】
<超>興味深くて、買ったその日の夜に一気に読んでしまいました。本書では4人の著者および5人のコメンテーターが、(教育)心理学と教育実践の関係がどうあるべきかについて、従来的な捉え方を脱した議論を行っています。たとえば人間の能力を個体に還元して論ずることや、教育現場における「問題」を個別的に切り取って論じること、あるいは「理論」と「実践」の二分化を行うことなどが論点として取り上げられています。ひじょうに内容が濃いので、また繰り返して読まないといけないなー、と思っています
『自学システムと教師の支援』【井上正明(著), 1997年, 渓水社, 1800円】
岩下修氏が考案した「自学システム」とは意味が異なり、学校での教育活動じたいが「自学」によって構成されるシステムにしよう、というアイデア。本書ではそこにおける教師の支援に着目し、特に「評価」について重点的に論じています。少々本書の主題とは離れますが個人的に興味深く思ったのは、教員の力量の重要な要素として「余裕のある生活」と「心身の健康」が挙げられていたこと。う゛ーん…なるほど。
『「管理教育」のすすめ』【諏訪哲二(著), 1997年, 洋泉社, 1900円】
タイトルが既に挑発的ですが、著者の主張は必ずしも奇をてらったものではありません。端的には、学校で行われる教育には父性的な要素がもっと必要である、ということであると思います。家庭の教育が母性的(というか似非ヒューマニズム)になっている今、父性を学校が担当するという前提に立つ著者のドライな主張は、子どもを社会化する装置として学校を捉えた場合、ひじょうに説得力があります。ただ、私自身は母性的なものがむしろ必要な場合もあると思うので、完全に賛同はしませんが。
『大衆教育社会のゆくえ』【苅谷剛彦(著),1995年,中央公論新社,700円】
教育社会学方面では超有名(らしい)な名著。副題は「学歴主義と平等神話の戦後史」。「神話」という言葉が示すように、戦後の日本における、教育機会の爆発的拡大によってほとんど誰でも平等に教育を受けることが可能になり、結果として個人の努力・能力が「社会階層」を決定する能力主義が達成された、という考え方に疑問を投げかけています。つまり、「家柄」等による特権階級も消失し、家庭の経済力による教育機会の差別も減少しているが、詳細に研究してみると、実はその陰には「生まれ」が「社会階層」を依然として決定しているという構造が隠蔽されている、と著者は主張します。ひじょうに興味深い論考です。
『体罰の研究』【坂本秀夫(著), 1995年, 三一書房, 2800円】
体罰に関しては、法規で禁止されているにも関わらず、未だに容認論が絶えません。本書は、「なぜ体罰はいけないのか」を、罪刑法定主義に反することなどを指摘し、説得力ある論理で示しています。本書の主張を全て克服したうえでなおかつ実施できる体罰というのは、おそらく存在しないのではないかと思います。「法律で決まってるからダメ」という言い方だけでは物足りない人は必読。
『制服少女たちの選択』【宮台真司(著), 1994年, 講談社, 1700円】
ちょうど「ブルセラ」やら「テレクラ」などで、「女子高生」が「ジョシコーセー」になり始めた頃に、旧来の規範意識だけではその事態を正しく理解できないということを示した快著。著者の語り口にも最近のような派手なイメージは感じられず、そこに述べられる主張による動揺を除けば、かなり知的に冷静に読むことができます。著者の主張に賛同するか否かは別として、時代に合わせてモノの考え方を変えるとはこういうことか、というのがよくわかったような気がします。同著者による『終わりなき日常を生きろ』(1995年,筑摩書房,1300円)、『透明な存在の不透明な悪意』(1997年,春秋社,1700円)なども、教育関係者は得るところの大きい文献かと思います。
『「荒れる」中学校をいつ変えたか』【糸井清(著), 1994年, 明治図書, 1650円】
表紙に「熱血校長の奮戦記」とあるように、著者が教頭あるいは校長という管理職の立場で行ってきた、「荒れる」中学校の改革について、実践的な話が綴られています。保護者や教員とのやり取りも(脚色入りではあろうが)具体的な言葉で示されているので臨場感があります。一貫した教育理念や仕事への取り組み方、やると言ったらやる覚悟を、自分もしっかり持ちたいと思わせてくれます。
『子どもの生命(いのち)に呼びかける』【近藤章久(著),1993年,白揚社,2000円】
副題に「親も先生も知っておきたい大事なこと」とある。子どもを育てていくにあたって、子どもの「内部感覚」を育てることが大切だ、と呼びかける。直接体験に欠けがちな現代の子どもたちには、身体全体で感じる喜びや、苦労して何かを成し遂げていくような、いわば生の体験が求められており、そこから「内部感覚」を磨いていくことの大切さがわかりやすく説かれている。目新しい教育論を展開するわけではないが、おおいに納得できる内容。
『授業がなりたたないと嘆く人へ』【相澤裕寿・杉山雅(著), 1993年, 高文研, 1200円】
いわゆる「困難校」での実践を通じて、教員の発想転換を促しています。表紙の文句が的を射ているように思うので引用します。「世の中、変わった。生徒も激変した。従来スタイルの授業はもう成立しない。それでも“授業らしい授業”にしがみつけば、悲劇はたちまち喜劇と化す。新しい授業はどうしたらつくれるか―。これまでの常識にとらわれず、柔軟な発想と感覚で“新しい授業”を追求してきた二人の実践家が語り合う。」
『校門の時計だけが知っている』【細井敏彦(著), 1993年, 草思社, 1600円】
著者は神戸高塚高校での「校門圧死事件」の当事者。「管理教育の悲劇」としてマスコミにさんざん非難された同事件の背景にある、高塚高校での教育実践や著者の教育理念などが述べられている。全ての主張を真に受けるわけにはいきませんが、本書を読めば、必ずしも著者たちの管理的教育実践が間違っていたとは思えなくなります。結局生徒の死という悲劇にはつながったものの、「荒れる」現場において教員集団が一致団結して教育に当たることの重要性などが本書から読み取れるように思います。
『授業で逆転現象を仕掛ける』【大森修(著), 1991年, 明治図書, 880円】
授業において、できる生徒は「わかり」、できない生徒が「わからない」のは普通のこと。そして最終目標はできる生徒もできない生徒も「わかる」こと。しかし、その途中で、できる生徒が「わからず」、できない生徒が「わかる」という「逆転現象」を仕組むことが大切だと説きます。生徒の間にある無意識の固定観念を崩す作用があるということです。また本書は、「逆転現象」以外にも学ぶところが多いように思います。
『AさせたいならBと言え』【岩下修(著), 1989年, 明治図書, 860円】
授業の名人として知られる著者が、子どもの頭と身体を活性化させる言葉の原則を示しています。その原則が「AさせたいならB」。つまり伝えたい内容をそのものズバリ言うのではなく、少し形を変えて表現することで子どもが活性化し、自然にAを達成させるような言葉を考えなさい、と主張します。示されている実例も納得!です。自分もこんな指導言をスッと発せられるようになりたい!
『授業つくり上達法』【大西忠治(著),1987年,民衆社,1250円】
教育界では広く読まれつづけている文献。著者は教育技術の重要性を早くから訴えていた先駆的存在で、おそらく学校教員であれば相当数の人が知っているはず。発問の出し方、板書の技術、声の使い分け、など、教員の実践を支える基礎的な教育技術が披露されています。続編に『発問上達法』。
『「校則」の研究』【坂本秀夫(著), 1986年, 三一書房, 1900円】
校則」の何が問題かを論じています。たいへん良識的で納得できる議論もある一方で、論理がまったく破綻していたり、具体的提案のない無責任な空論に終わっている個所もずいぶんと多いように思います。その意味で、本書は「校則」について何かを学ぶため、というよりは、1つの材料として議論をするためのテキストとして使うのがよいように思います。
『授業の腕をあげる法則』【向山洋一(著), 1985年, 明治図書, 880円】
著者は言わずと知れた「法則化運動」の主唱者であり授業の達人。プロ教師たるに必要な要件を、「趣意説明の原則」や「細分化の原則」のような名目で具体的に示しています。挑発的な表現を多用する著者ですが、主張の内容はそれほどおかしなことだとは思いません。「生徒にとって意味のある教員になりたい」と思う人なら、読む価値のある本だと思います。ただ、自信喪失する人が多いでしょうが(苦笑)著者は他にも多数教育書を執筆しています。
『無気力の心理学』【波多野誼余夫・稲垣佳世子(著), 1981年, 中央公論社, 660円】
無気力・無力感がどのように形成されるか、ということを心理学の研究成果を引きながら示している。また、「効力感」というキーワードで、無気力の克服法を探っています。研究の進んでいる分野なので、1981年刊の本書が示す理論は未発達のものかもしれないが、それなりに納得できる議論であるようには思います。学校教育改善に役立つかどうかはともかく、教員なら留意しておかねばならないことが述べられているのではないでしょうか。
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