2005.7.4. 温故知新−1980年代の英語教育書2冊


「教育は数学のようにモデル的なものではなく、臨床的なものであるということです。譬え的に言いますと、1+2=3のようには扱えないということです。1+2=3は、いわば現実の世界には存在しないことの多いモデル的な数式です。現実の世界では、たとえば1.123...+2.214...=3.337...という形で存在することが多いのです。このように数多く現実に存在するケースをまとめて1つのモデルにした数式が1+2=3です。ですから、モデル的に1+2=3と言っても、実際にはそれとは多少異なったケースが現れているのです。したがって、1+2=3的な取り扱いでは、個々のケースの答えを出すことはできません。」(pp.12-13)

「できるかぎり具体的に学習目標を検討しなければなりません。その要点としてA,B,C,Dの4つの項目が挙げられます。AはAudienceのAで、学習者のことです。つまり、学習目標が教師の立場からではなく、学習者の立場から考えられているかどうかの検討です・・・BはBehaviorのBです。学習目標をできるだけ外部から観察できるような行動とか、その具体的な結果で示しておくということです、・・・CはConditionsのCです。Bで示された具体的な行動がどのような状況(環境)で行なえるようにするのかを明らかにしなければなりません。・・・DはDegreeのDです。つまり、学習目標を生徒がどの程度できればよいかを検討することです。」(pp.27-29)

「テスト問題は、学習目標を分析し下位目標を定める際に同時に作成しておくのが望ましい」(p.78)

これらの文言を読まれて、どのようにお感じになるでしょうか。1982年に刊行された『英語教育のプログラミング』(町田隆哉[著]大修館書店[刊])という専門書籍からの引用なのですが、20年以上経過した現在議論の俎上に上がっている「教育の臨床性」や「絶対評価」といったトピックに驚くほど通ずる指摘がなされていることがわかります。

1980年代の英語教育論といえば、今の目をもって見ると甚だ未熟なレベルでの議論であるかのような印象を抱きます。じっさい最も専門的であったはずの学会の論文集などを眺めても、「英語授業の一考察」であるとか「ライティングの効果的な指導法」などといったタイトルが平気で並んでいて、現在と比較して議論がいかに未整理・未分化・未成熟であったかがよくわかる思いがするものです。

もちろん、だからといって1980年代の英語教育論が見当はずれなものであったわけではありませんし、高度な実践や研究がなされていなかったわけでもありません。しかしながら、今の時代に1980年代を振り返ることは、歴史的な興味を除いてはあまりないだろうと思います。

そんな時代に出版された上掲書において、かなり現代的ともいえる考察がなされていることは注目に値します。これは、一つには著者の慧眼を認めざるを得ないという面があるでしょう。しかし、それ以上に考えなければならないのは、英語教育(あるいは学校教育)に関する議論は、日々進化しているようでいて、実は常に同じ問題を扱っているのかもしれないということです。

いろいろな立場の人がいろいろなことを言い、英語教育を見る視点が豊かになってきていることは確かです。ただ、どんな角度から見ようが、つまるところ英語教育に必要なポイントが本質的にはそう変わるものではなく、いつの時代も結局は同じことを考えていかなければならないということなのかもしれません。上の引用からは行動主義的なニュアンスも感じられるのですが、それが決して「古い」ということはありません。時代を反映しつつも、見ているものは常に同じということなのだと思います。


1980年代の英語教育書としてもう1冊取り上げたいのは、上掲書と同じシリーズに名を連ねる『英語指導技術再検討』(1988年 財団法人語学教育研究所[編著]大修館書店[刊])です。この書籍については月刊誌『英語教育』(大修館書店)2004年4月号でも紹介したのですが、今読み返してみても、やはり良書であるという思いを新たにします。

たとえば「和文英訳」の項で次のような指摘があります。

「和文英訳をさせる前に、十分な量の英文を生徒にinputする。和文英訳はproductionである。productionには十分なreceptionが必要である。」(p.57)
「少しでも和文英訳の作業を口頭発表能力に結びつけるために、いきなり書かせないで口頭練習をする段階が必要である。」(p.58)

あらためて言われてみればごく当たり前のことで「そんなことわかってるよ」と言いたくなるのですが、理屈としては理解しているつもりでも日々の授業でそれがどれほど活かされているかと考えると、実際はなかなか消化しきれていない部分が多いことに気づきます。

最近では授業に使える指導技術が幅広く流通しており、書籍・ビデオやワークショップを通じて実にいろいろな「ワザ」を学ぶことができます。しかし、そういった「ワザ」も実は、教師は教室内のどこに立つのか、板書はどのように計画するのか、ノート作りはどのように指導するのか、などといったより基礎的な指導技術に支えられてこそ生きてくるものであって、そういった一種の「教職教養」に関する原理原則を知っておくことは誰にとっても必要なことです。

最近の英語教育実践書といえば、ひじょうに具体的な「ネタ集」の類か、あるいは技能別・活動別の授業展開例を紹介するものがほとんどで、本書のように基礎的な指導技術を正面から扱うことは稀であるといえます。一部にはこのレベルの指導技術を重視する教育団体もありますが、1冊の出版物として指導技術を考察する包括性という点では、本書に匹敵するものがほとんど見当たりません。20年近くが経過した今でも、充分に読む価値のある文献だと私は思っています。


教育に限らず、なんでも新しいから良い・古いから良い、という考え方は成立しにくいものだと思います。新しかろうが古かろうが、自分にとって必要なことは何にでも目を向けることが大事なのでしょう。

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