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今年度後半、高校2年生「英語U」の授業でパラグラフ・リーディングの観点を取り入れるようにしていました。
このパラグラフ・リーディングという手法について知ったのは、大学時代に授業方法論の講義でした。「ディスコース・マーカーに着目しながら読むことが大切だ」「1文1文にこだわりすぎず、文章全体の流れを把握することが大切だ」などという話の中で出てきたのですが、正直言って「そらそうやろ。何をそんな当たり前のことを…」としか思っていませんでした。
また、大学の宿題として読まされたMichael SwanのPractical English Usage(Oxford University Press)にも"discource markers"という項目があって、いろいろな論理関係を表す表現が紹介されているのですが、読んだときは取り立てて大騒ぎするほどのことでもないかなあとしか思えませんでした。『現代英語教育』誌(研究社:休刊中)に福崎伍郎さんら予備校講師によるパラグラフ・リーディング指導法の集中連載がなされた時も、「まあ、たしかによく整理された手法ではあるけど、わざわざ大騒ぎするほどのことか?」というのが私の偽らざる感想でした。
「ディスコース・マーカーに着目せよ」などと言われなくてもそんなこと普通に無意識にやっていることだろう。英語の長文問題の設問など現代文の問題に比べたらはるかに単純なものなのだから、普通に1文1文の意味が理解できていれば、解答に困ることはないだろうと考えていたのです。
しかし、その考えは甘かったようだということが最近になってようやくわかりはじめました。
私自身は子どものころから本を読むことが好きでしたし、高校時代も現代文の成績はずっと良い方で、大学入試でも国語は得点源の1つでした。ですから、英語の試験問題くらいの文章ならば、文法や構文でわからないことがあっても筆者の主張やストーリーの概要を読み違えるようなことはほとんどありませんでした。認知心理学的な読解研究でも、第1言語の文章読解力は第2言語にも転移するということですから、現代文が得意だった私が英語の長文問題を得意としたのは当然のことかもしれません。
英語指導者の多くはおそらく私と同じような感覚を持っているのではないかと推測するのですが、その感覚が、実は必ずしも目の前の高校生に共有されているものではない、ということに今さらながらに気がついたのです。
たとえば次の問題。ある大学入試向けの長文問題集からの抜粋です。
Trees give off oxygen and absorb carbon dioxide - ( A ) trees mean ( B
) carbon dioxide is absorbed. The burning of trees to clear forests also
releases more carbon dioxide into the atmosphere, increasing greenhouse
gases.
問題:空所(A)−(B)に入る語の組み合わせとして最も適切なものを1つ選べ
1. more - less 2.fewer - more 3.more - more 4.fewer
- less
意味内容からいって可能なのは3と4です。
3.more trees mean more carbon dioxide is absorbed
4.fewer trees mean less carbon dioxide is absorbed
どちらも直前の"trees give off oxygen and absorb carbon dioxide"という記述に合致します。
しかし、正解は4のみ。決め手は次の文の"also"という「ディスコース・マーカー」です。つまり、次の文では「森林伐採(木が減る)→二酸化炭素が増える」と言っていて、"also"というのは同趣旨の内容が反復されていることを表す目印ですから、その直前の文も同じく「森林伐採(木が減る)→二酸化炭素が増える」という内容でなければおかしい、ということです。
この設問が適切なものであるかどうかはさておき、勤務校の高校生の多くは3を選びました。彼(女)らは、少なくとも直前の文との関係では正しい選択肢を選んでいるのです。ですから、1文レベルでは正確に理解できていると思われるのです。しかし、"also"に気づくことができなかったのです。
さらに、授業の中で「40字要約」という活動を課していたのですが、生徒は最初、なかなか適切な要約文を書くことができませんでした。40字というのはだいたい日本語1センテンス、という意味なのですが、これをするためにはパラグラフごとに内容を整理して把握し、パラグラフごとの要点をつなげて表現することが必要になります。ところが、多くの生徒がやってしまうのは、文章の一部分だけを取り出した解答をしたり、不必要に具体的な情報ばかりを盛り込んでしまうことです。
これは、文章を大きな流れとして捉えられずに、個々の情報にばかり目が行っているということだと思います。もっと言ってしまえば、英語の読解が、筆者が読者に何を伝えようとしているかを文章全体を通じて理解しようとするプロセスではなく、1つ1つの文を正確に理解する作業だけに集中してしまっているということなのでしょう。
ところが、現代文が得意な生徒はこの種の問題をだいたい苦もなくクリアしてしまいます。
問題の所在は明らかではないでしょうか。
文章を読みなれていて文章構成や文と文の関係を正確に理解できる者にとっては、きわめて自然に無意識のうちに気づいて利用できるディスコース・マーカーのような情報が、文章を読みなれていない学習者は利用できないということです。
学習者がそういった情報を利用できないのであれば、それを利用する方法を教えるのも必要なことであるといえるでしょう。そういった意味で、パラグラフ・リーディングがもてはやされる理由がようやく理解できたような気がしました。
もちろん、本質を言えば、今の高校生の読書量・触字量が絶対的に不足していることが問題なのだと思います。私は小学校での英語教育を語る前に小・中学校での日本語読書教育をこそ真剣に議論すべきではないかと思っています。
ただ、そうはいっても現実問題として目の前には読書量の不足している生徒がいるわけで、そういった生徒たちにも英語の文章を読む方法論を伝えなくてはなりません。その意味で、パラグラフ・リーディングが重要視されるのはもっともなことだと思うようになりました。
また、別の観点ですが、英語が外国語であるという当たり前の事実からもパラグラフ・リーディングの重要性は論じられるようにも思っています。
たとえば、ある教科書に次のような一節があります。
Some people think that having too many varieties of English will make international communication in English difficult. However, the well-known linguist David Crystal is optimistic about this problem.
"optimistic"という単語は、この課を扱った時点では大半の生徒にとって未知語でした。当然のことながら語彙は知っているに越したことはありません。この"optimistic"も大学受験を考える高校生ならば知っていなければならない単語でしょう。ただ、そうはいっても英語は外国語です。外国語である以上、どこまで行っても知らない語彙に出会うことは避けられません。そうした時に、未知語をどのように処理すればよいかを教えておくことも外国語教育の一部であるといえるでしょう。
この場合、仮に"optimistic"だけが未知語である場合、辞書を引かなければ文章の意味が理解できないかといえば、実はそうでもありません。第1文では「英語の種類が増えすぎると英語での国際コミュニケーションが難しくなる」と言っていて、第2文では"However"と言っているのですから、第2文は「英語の種類が増えても英語での国際コミュニケーションは難しくならない」という意味内容になることが推測できます。
そうすると、"optimistic"の辞書的意味は知らないとしても、少なくともこの文脈においては第1文とは反対の意味を表す語である、ということぐらいがつかめれば、この文章を理解することには支障がありません。
この時、上に挙げた問題集の例と同じく、"however"というディスコース・マーカーに気づくことが大切になるわけですが、このようにコミュニケーションのブレイクダウンを避ける手段としてもパラグラフ・リーディング(あるいはディスコース・マーカーを利用したリーディング法)は有効な手段になると言えるでしょう。
このように、教室での英文読解の作業を、筆者の意図を理解するという本来の言語活動に戻してやる方法論として、また外国語と上手につきあっていくための方法論としてパラグラフ・リーディングは大切なのだなあ、と今ごろになってようやく感じ始めているのです。
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