2003.9.25. 英語教育の「理論」(4)−なぜ訳読式が主流でありつづけるのか−

「英語教育の「理論」」シリーズの最後に、「学校的」な英語教育の代名詞として槍玉に挙げられる訳読式の指導法が、なぜこれほどまでに批判を浴びながらもしぶとく生き残っているのかについて、「理論」との関係からごく簡単に考えてみます。結論を先に言っておくと、教員にとっては自身の成功経験こそ最も信頼に足るものであり、自身の経験に無いものを授業に取り入れることには直観的な抵抗があるということです。

キーコンセプトは、教員個人にとっての「理論の出所」です。
ある教員にとって最も自信が持てる教え方とは端的に言ってどのようなものでしょうか。人は誰しもそうであるように、英語教員もまた、自分自身が経験してきたことについては揺るぎのない自信を持つことができます。それが客観的に見て他人にも適用しうるほどの一般性を持っているかどうかは別の問題ですが、少なくとも教員個人の主観においては、自身の経験は絶対的なものといえます。

ですから、たとえばひたすらに難解な文学作品を訳読することによって現在の英語力を獲得した教員にとっては、訳読法こそが英語力を高める最高の筋道であり、生徒にもそれを勧めるのは自然な成り行きであると思われます。あるいは、英語圏への留学によって英語力を高めた教員であれば、とにかく体当たりで英語を話し、聞くことを生徒に要求するかもしれません。いずれにせよ、自身の経験は主観的には絶対的なものですから、どうしてもそれがその教員の授業に反映されることは自然なことだと思われます。(注1)

それに対して、「コミュニケーション志向」の英語授業は教員にどのように捉えられるでしょうか。少なくとも、日本の公教育システムの中でコミュニケーション志向の英語授業を受けて英語力を高めた英語教員というのは皆無に近いでしょう。つまり、「コミュニカティブな」学習法に基づいて英語力を高めた教員はほとんど存在しないわけです。とすると、教員にとってコミュニカティブな指導というのはあくまで外部からの知的情報として取り入れられるものでしかなく、自身の鮮やかな実体験に比べると、圧倒的に現実味が感じられないことでしょう。ましてやそれを生徒に対して与えるとなると、とうてい自信など持ちようがないのではないでしょうか。(注2)

要するに、私も含めて現在の日本人英語教員の大部分は、黒板を前にしてのchalk & talkの訳読式による英語教育を受けてきているわけですから、そういった教員の成功体験は訳読式指導法と密接に結びついているのです。そういった教員が「英語授業は英語で」「行うべきはteach Englishであって、teach ABOUT Englishではない」「説明を少なく、タスクなどによる練習を多く」と求められたところで、「はい、そうですか」とスムーズに行かないのは当たり前のことと言えます。

言い方を変えると、多くの英語教員にとって無意識的に獲得してきた「英語教育の理論」とは訳読式なのであり、その「理論」の出所は実体験です。それに対して英語教育の研究者や先進的実践者が啓蒙しようとしているのは、彼(女)らの実体験に存在しない「理論」であるわけです。

けっきょく人間は自分で実感したことは信じることができるのですが、実感していないことについては、いくら理論的に正しいと言われてもなかなか信じられないものなのだと思います。ですから、どれだけ学校英語教育批判が展開されようと訳読式が幅を利かせるのには、こういった理由があるのだと思います。もちろん、その状況を是認するわけではありませんが、それだけ英語教育の問題は根深いわけであり、誰かがホイと一言ぶち上げたからといって改善されるものではない、ということは言えると思います。

こう考えると、英語教育界に理論はない、などと勝手に断じてしまいましたが、意識下のレベルでは皆何らかの「理論様」のものを持っているということをもっと重視しなければならないのかもしれません。私自身もそうですが、全ての教員が意識下で持っている「理論」を掘り起こしたら、いったいどのようなものが出てくるか、それはそれで興味深くもあります。

と言いつつ、実は私自身、論文の中でこのようなことを言ったことがありました(どうでもいい手前ミソだなあ・・・。しかもこの考え方は共著者の加藤氏が示してくれたものですし・・・。)

「授業のあり方は個人や社会が持つ価値観に規定されており、教師の授業での意志決定や具体的行動は、各々が内的にもつ望ましい授業方法や学習に対する考え方によって支えられる。このような態度や考え・思考様式は、授業に対する「信条(belief)」(1)と従来呼ばれてきている。
 信条は授業行動において暗黙のうちに機能しており、教師も自身の信条を自覚していない場合が多い。信条を研究対象とすることは、その研究結果を教師にフィードバックすることによって、その教師がそれまで自覚していなかった自身の特徴・傾向に対する意識が高められる点において教師教育に寄与すると考えられる。
 教師の持つ信条の特徴としては、1つには、いかなる教師もこれを有しているということが挙げられる。たとえば、授業経験の全くない新任教師であっても、大学の教職課程での講義や過去に受けた授業体験から教科内容、教育方法などに関する信条をある程度持っている。また、これらの信条は、実践経験を積むことにより変化するということも特徴の1つである。」(加藤・山岡 2000)

英語教育が望ましい理論のもとに行われるようになるためには、なるべくその理論に基づいた成功体験を積み重ねることが大事だということなのかもしれません。

さて、途中「理論」と直接関係のない話もあり、最後の方はかなり思いつきでもありましたが、これにて「英語教育の「理論」」シリーズを終わりとします。指導者の直観やムダを省いた「エレガントな」英語指導体系についてなど、考え、論じたいことはまだまだあります。

しかし、本シリーズを書きながら私自身の頭も徐々に整理されてきて、自分の理論がだいぶん見えてきたように思います。それと同時に、その理論の持つ長所・短所も自分で少しは認識できるようになり、実践を改善するためのアイデアもいくつか浮かんできています。まずはそれらを試してみたいと思っています。現場の教員が理屈ばっかり言っていても始まりません。実践を通じて考え、考えたことを実践に戻す、という当たり前のプロセスを経てみようと思います。



<注>
(1)
たとえば私は、進学コースの授業ではいちいち新出語彙の説明をしません。私自身が高校生のときは、語彙などは自分で辞書を調べておくもので、わざわざ先生に教えてもらうようなものではない、という意識でいたことが影響しているのだろうと思われます。

(2)もっと言ってしまうと、「コミュニカティブ」という発想はどこから出てきたんだろう?という疑問があります。果たして誰かの実体験に基づく理論なのか、それとも単なる机上の空論なのか。決して間違ったことを言っているわけではないのですが、誰かが頭の中で空想しただけの理論だとしたら、余計に英語教育の現場には根付きにくいものだろうと思います。


【引用文献】
加藤賢一・山岡大基.2000.「英語科新任教師の変容−アクション・リサーチを通じて」.中国四国教育学会.『教育学研究紀要』 第46巻 第2部 p117-122.


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