2002.8.21. 「説明」の技術を考える

大学時代に授業論を教えてくださった先生が、「1回の授業にはいくつかの局面があるが、最も大切なのはどれか」という問いを発せられたことがありました。私たちの多くは、導入だと答えたのですが、先生は次のような答えを出されました。

「確かに導入は大切だ。生徒にある項目を初めて提示するわけだから、当然だ。また、いくら教わっても自分で使ってみないことには外国語は身につかないのだから、練習も大切だ。しかし、学校の授業ということを考えると、説明こそ教員の専門性が最も問われる局面であり、授業の成否を握っている。」

たしかに、「新しい英語教育」が語られるとき、そのほとんどは活動の組み方や授業哲学の部分での話がほとんどであり、「こんな新しい説明法が開発された!」というのはまず聞きません。ですから、教育学部で新しい英語指導法を身につけようとしていた私たち学生にとっては、先生の答えは、むしろ意外に思えたものです。

しかし、考えてみると、説明ほど授業の本質に関わるものもありません。新しい事柄を生徒に伝えるには、必ず説明をしなくてはならず、その意味において、説明のない授業は存在しえないからです。ところが、そのように初めから当然のこととして存在しているがために、そして、不幸にも伝統的な訳読式授業とのつながりが連想されてしまうために、研究対象として充分な注目が集められてこなかったのが現実であるでしょう。

説明は、実にやっかいな仕事です。まずもって、説明すべき内容について充分な専門的知識を持っていなくてはなりません。また、その知識を、自分なりの枠組みで整理しておかねばなりません。そのうえで、目の前の学習者の習熟度や学習目標を的確に把握し、それに合致するような方向で説明を組み立てないことには、充分には理解してもらえません。そのためには、1つの事柄を説明するのに、複数の筋道のレパートリーを持っていることも必要です。

とことんまで理屈でつきつめて説明するのか、逆に「覚えておきなさい」の一言で済ませるのか、構造的な観点に立つのか機能的な観点に立つのか、言語学的に正確な説明を行うのか、便宜的な説明を優先させるのか。そのような判断も随時行わねばなりません。(注1)

それだけ専門的な技量が求められる仕事でありながら、充分な学問的研究対象とされてこなかったのは、研究手法上の難しさを割り引いても、まことに残念と言わざるを得ません。多くの場合、教員個人の「コツ」の域を出ておらず、言うなれば口承文学のような形で伝えられるにとどまり、体系化した形で広く英語教育界の共有財産とする努力は、私の知る限りほとんどなされていません。各種のワークショップにおいても、提供されるのは断片的な技術であり、中学校なり高校なりの学習内容全般を体系的に捉えて一貫した方針で個々の事柄についての説明を組み立てるレベルの話はおそらくまず出されていないと思われます。

あるとすれば、一部の有名予備校講師らによる学習参考書が良いところで、「英語教育学」はそれら以上の知見をなんら提供できていないのが現状ではないでしょうか。(注2)

そこで、体系的とはいきませんが、私の経験をもとに、大雑把にではありますが、英語授業における説明の技術の整理を試みます。個別の言語材料には言及できませんが、一般的に採用可能な技術のリストになればよいと思います。


<1.文法的構造・構文を言葉で説明する>

たとえば
The movie reminds people of the nature they enjoyed when they were young.
について、

「"remind A of B"で、『AにBを思い出させる』という意味である」
「"the nature they enjoyed"は、"they enjoyed"が直前の名詞"nature"を修飾する形(接触節)である」
「"when"は従属接続詞で、"〜when・・・"で『・・・の時〜』という意味である」

などといった文法的な事項を言葉によって説明する方法があります。あえて「説明の技術」と呼ぶほどのこともなく、ごく当たり前に用いられているやり方でしょうが、これ単独で用いられることは少ないとも思われます。おそらく以下に述べる他の技術と合わせられることがほとんどでしょう。


<2.文法的構造・構文を記号により説明する>

上の英文に、

のような記号を付与して板書することで、文の構造を視覚化する方法です。

これもごく一般的に用いられている技術ですが、記号の一貫性に関して教員間に差が見られます。
1つは、その教員の授業を通じて一貫した記号体系が用いられ、特定の構造は常に特定の記号によって示される場合、そしてもう1つは、特にそのような一貫性は設けず、その場その場でわかりやすいように記号を用いるという場合です。

前者の典型的な例としては、「寺島の記号づけ」などが挙げられるでしょうか。他にも、多かれ少なかれ一貫した記号体系を用いる教員が多いのではないでしょうか。


<3.図式化>
記号と同じようなことかもしれませんが、英文を、左から右に直線的に書くだけでなく、必要に応じて部分を縦に並べたり、語句どうしをグルーピングして板書、プリントすることがあります。

たとえば、
"Every morning he washes his face, brush his teeth, puts on his work clothes, and leaves for the factory."
という文について、



のような板書を行うことで、等位構造を明示する場合などがこれに当たります。

記号も図式化も、板書の技術という角度から捉えることも大切でしょう。


<4.用例>
文法的なことがらを説明するのに欠かせないのが用例でしょう。学習塾で文法を教えている時、しょっちゅう生徒に「それ、例えばどんな文なん?」と聞かれたものです。言葉を学習するのに、ある程度一般化した形で理解していくことが必要であるとはいえ、やはり最終的にはもう一度、その規則の典型例に戻してやることは大切だと思います。院生時代に聞いた"mapping rules"というのが、そういう話だったような(山岡俊比古先生の集中講義レポートをご参照ください)。

用例の用い方にも、大きく2通りのやり方が考えられるでしょう。

1つは、ターゲット項目の理解を達成するために提示するやり方です。
たとえば、
"I had my hair cut."
を指導するために、
"I had my son drive for us."
のような既習の類例を引き合いに出し、2つの構文の平行性から説明を行うような場合があります。

あるいは、
"These English words are on their way to becoming Japanese."
の文構造が把握できない学習者に対し、
"The books are on the table."
という、同じ構造を持つ、よりシンプルな類例に還元することで理解を導くというやり方もあるでしょう。

また、類例だけでなく、対照例を示すことでターゲットの特徴を際立たせることもあります。

現在完了形の意味を理解させるために、

"Mr. Yamaoka came to Japan (two days ago)."
"Mr. Yamaoka has come to Japan."

"Mr. Yamaoka fell in a river (two days ago)."
"Mr. Yamaoka has fallen in a river."

といった過去形との対比を行い、それぞれの意味を考えさせる場合などがそれです。

用例を用いるもう1つのやり方は、ターゲット項目の理解がある程度達成された後に、念押し的に提示する方法です。多チャンネルからの理解ということで、ドリル的な意味あいがあるとも言えるでしょう。"not only A but also B"を導入した後で、"James can speak not only English but also German."のような例の意味を確認するような場合です。

どちらの場合にしても、用例を適切に活用できれば、机上の学習を常に現実の言語使用とリンクさせておこうとする努力の手助けになるもので、なかなかバカにできないと思います。


<5.貼り物>
黒板に貼れるフラッシュ・カードや、模造紙を用いた教具などを用いる方法です。作成の手間や即興性のなさを考えると、説明というよりは、主には導入時に用いられることが多いのではないかと思いますが、たとえば一定期間同じ言語項目やそれに関連する事項を継続的に扱っていく場合などには、導入時に用いた貼り物教具を何度も用いて説明を行う場合もあるでしょう。

3単現動詞の疑問文・否定文を導入したときに用いたフラッシュ・カードを、練習問題の解説などに用い、さらに過去形の疑問文・否定文を指導する際にも同じ形式のカードを作り足して転用する、というような場合が考えられます。

説明の内容自体は、黒板にチョークで書いても全く変わらないような場合でも、見た目で「なんとなく」わかりやすい「ような気になる」という効果が貼り物にはあるので、高校でももっと活用されてよい手法だと私は思っています。


<6.場面的情報を与える>
ある項目を説明する際に、その表現が用いられる場面や意味を、なるべく具体的に、ヴィヴィッドに示すやり方です。たとえば、"as if..."の説明をする際に、「あたかも・・・のように」といった辞書的定義を与えるだけでなく、次のような説明を行うことができます。

「たとえばな、ほら、オバチャン(失礼!)がな、ホンマは自分の目では全然見てへんのに、『ホンマもーごっつい事故やったんよー!あっちのカドからねえ、トラックがグア〜って走ってきてねえ、ほんでからあっちの方からものすごいスピードであの兄ちゃんの車が走ってきてねえ!ほんで、グアッシャーン!!!ってぶつかってさあ、私ホンマに心臓止まるかおもたわ!』なんて、さも自分の目で見たように大げさに話すことってあるやん?そういう時にな、"She talked as if she had seen the accident."って言うねん。」

このように、なるべく学習者に想像のつきやすい場面を取り上げてターゲットとなる表現が使われる状況をなるべく鮮やかにイメージさせることで、その表現がよりよく定着することを狙うわけです。

この方法は、言語内からの説明だけでは、説明内容が高度に理論的になりすぎたり、抽象的になりすぎたりして学習者の理解がついていかない場合に特に有効であると思われます。というのは、ターゲット項目の使用状況という「言語外」からのアプローチであるため、日常(言語)生活からの直観が働きやすいからです。

「仮定法過去と仮定法過去完了はどう違うのですか。」「関係代名詞の制限用法と非制限用法はどう違うのですか」「現在形はどのような意味なのですか」などのような、文法的に(つまり言語内からのアプローチで)説明すると抽象的になりがちな項目の場合を考えると、この点がよくわかるのではないでしょうか。

と、書いていて既にお気づきの方も多いでしょうが、この「実際の使用状況の中で言語を身につける」という発想は、まさしくCommunicative Language Teachingの発想であり、私がいまさら指摘するまでもなく、既に古典的理論の仲間入りを果たしているといえます。しかし、一見「伝統的」なスタイルを維持しているように思われる授業の中であっても、このような説明を心がけることは、いかに末節的なことであるとはいえ立派な「コミュニケーション志向の(文法)指導」だとは言えないでしょうか。


<7.日本語との対照>
文法の説明などで、英語と日本語で構造的な平行性が明確な場合、日本語と比較対照した説明を行うことがあります。やや深い理解を目指す方法ですので、基本的にはターゲット理解達成後の補足的な説明として用いることが多いかと思いますが、後に産出につなげる意味でも、日本語との対照性を理解しておくことは、必ずしも無駄ではないと思われます。

たとえば、英語のthat節と日本語のと節には重なる部分が大きいので、この点を指摘しておくと、that節の使用を指導しやすくなります。

"She said that her husband was going to Australia."
「彼女は、夫がオーストラリアに行くと言った。」

の平行性から、日本語で「と」を用いる場所では、英語では"that"を用いれば同じ意味を表すことができることを教えることができます。また、日本語訳との語順の相違から、従属接続詞一般の語順指導への足がかりを得ることもできます。

このように、説明の内容としては高級な部類に属する知識でしょうけれども、英語の運用につなげていくことを考えると、日本語との対照理解も強力な武器になるのではないでしょうか。


<8.日本語訳を与えてしまう>
ある意味で、最もお手軽な説明法でしょうか(^_^;
「この英文の意味は、日本語で言うと、〜という意味だ!」
で済ませてしまい、それ以上の分析はしない、というやり方です。

その項目が、特に時間を割いて説明するほどのものではない場合などには有効な方法だといえるでしょう。また、ある程度の英語力を持った学習者であれば、日本語訳さえわかれば、その意味に適合するように問題の英文を分析することが可能ですので、むしろ日本語訳を与えるだけの方が、学習者に考えさせることができる場合もあるかもしれません。

しかし、そうでない場合には、日本語訳だけでは充分でないでしょうから、他の説明法が並行して用いられることが多いと思われます。


<9.学習者自身に答えを導かせる>
他の項目とは目先がやや異なる技術と言えるかもしれません。問題となる英文について、いきなり指導者が整然とした説明を与えるのではなく、学習者の持っている知識を確認しながら、それをベースにして、学習者自身に答えを見つけさせる(少なくとも、自分で見つけたと思わせる)やり方があります。

多くの指導者が用いる手法ではないかと思いますが、学習者自身に「自分はどこまで理解しているのか・どこからが理解できていないのか」を認識させ、エピソード記憶的に学習内容を定着させるという効果があるので、時間さえ保障されている状況であれば、有効な方法でしょう。


<10.説明しない>
究極の選択肢です。コミュニケーション・ストラテジーの「回避方略」のようなものかもしれませんね(笑)。
しかし、定型表現やライティングの基礎となる範例文などであれば、下手に説明を加えて理屈で理解させようとするよりも、「そういうもの」として与えてしまい、説明よりも、むしろドリル的学習を手厚く行う方が、かえって学習の目標には適っている場合があります。

そのような場合、「説明したい」「説明しないと教員の仕事をしていないような気がする」という誘惑に負けることなく、バッサリと、「はい、この表現はこういう意味だから、覚えておきなさいよ」で済ませてしまうのも、プロとしての判断力なのかな、と私は考えています。特に、「量」の重要性が強く認識されるようになっている現状を考えると、もっと積極的にこの手法の活用を考えるべきなのかもしれません。

さて、私が知る限りの範囲で「説明の技術」を、かなり大づかみに分類・整理してみました。いかがでしょうか。他にも効果的な技術があるかもしれません。どのような場面でどのような技術を採用するのか、いまだ"art"の域を出ない課題であり、私自身もこれといった明確な基準を持っているわけではありませんが、皆で考えるきっかけにでもなればいいな、と思っています。何か思いつくことのある方、ぜひ掲示板にでもご意見をお寄せくださいませ。


ところで、ついでなので私が個人的に特に関心を持っている手法について補足的に述べておきたいと思います。それは、上記「4.用例」で述べた、ターゲット文をより簡潔な類例に還元して理解を図るというやり方です。

"About eighty percent of all information in the world's computers is given in English."

という文について、「複雑すぎてわからない」と思う学習者に対し、構造を説明することで対応すると、たしかにこの1文については充分な理解が得られるかもしれませんが、その理解が、同じような構造を持つ他の文の理解へと転移するかどうかが不明です。

しかし、これを

"The lecture is given in English."

という類例に還元して理解させようとするならば、上記のターゲット文が、つきつめれば

"...information...is given in English."

という骨組みを持つ文である(正確には、"about〜computers"が外心名詞句である)ことに気づかせられる可能性があり、どんなに複雑に見える英文でも、自分の知っている単純な構造と置き換えることによって、シンプルに理解することができる、という気づきにつながっていくかもしれません。

もちろん、実証できていないことですので、あくまで可能性と希望的観測の域を出ない話ではありますが、私はできるだけこの手法による説明を授業に取り入れていこうと考えています。

さらに言えば、未だに文法の参考書・問題集から「5文型」が残されているのは、けっきょくはこの還元性にあるのであり、ほとんどの英文が少数の限られた文型に還元できるという点を指導することにこそ、文型論を学校英語教育で扱う意義があると私は考えています。逆にいえば、「これはSVCですね、これはSVOCですね」という段階の指導で終わってしまっていては(それが多いのではないかとは思いますが・・・)、時間のムダでしかないでしょう。

このあたりは、授業実践を通じて研究に取り組んでいきたいな、と考えています。



注1:たとえば大学受験生であれば、専門的見地から正確と思われる説明をするよりも、「どうすれば問題が解けるか」を与えるような便宜的説明法のほうが、受け入れられやすいようです。それを下手に専門的に説明しようとすれば、嫌がられるのがオチか・・・。

注2:これについては、説明法という「土くさい」テーマには高級感がなく、大学レベルでなされる「英語教育研究」ではウケがよくないと感じられている可能性もあります。「応用の学」「実用の学」としての英語教育研究では、むしろこちらのほうが歓迎されてしかるべきだと思うのですが。


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