|
「コミュニカティブな文法指導」に関わる論文集です。タイトルを見ると少し時代遅れな印象も受けるのですが、指導現場ではいまだによく問題にされるテーマで、中高の教員には一読の価値があります。内容としては、「コミュニケーション」と「文法」をどのように連係させるのかについての実践的な提案や理論的な整理です。1章ごとに「リーディングと文法指導」「ライティングと文法指導」といった別々のトピックが扱われており、全体的として何か統一した主張なり研究成果を示そうという意図は感じられません。むしろ、「コミュニカティブな文法指導」という1つのテーマに対して、さまざまな角度からアプローチできるということが示されているように思います。
さて、本書を最初に読んだ時に、私はなんとも言いようのない違和感を感じました。テーマ自体は古典的なものですし、個々の論考も決して難解であるとか的外れであるということもありません。章ごとに完成度の違いはあるものの、いずれも読んで「勉強になったな」と思えるものでした。しかし、それでも何か私が内心期待していたものとは違うという感じがぬぐえませんでした。
違和感といっても実に直感的なものであり、言葉に整理して説明することが難しいのですが、現時点でなんとか表現するならば次のようなことだと思います。
「コミュニカティブな文法指導」とは言うものの、論考の中身を見れば、指導される「文法」の内容そのものがコミュニカティブなのではなく、またコミュニケーションを作るための文法が指導されているわけでもないことがわかります。論じられているのは、従来の記述的な発想による「文法」をいかに教えるか、という「手法」の問題なのです。つまり、「リーディングという活動を通じて文法を教える」「ライティングという活動を通じて文法を教える」という発想であり、「リーディング/ライティングを効果的に行うための文法」ではないということです。
たとえば、第T部第4章「スピーキングと文法指導」や第5章「(1)音声と文法指導(2)イントネーションと文法指導」などの提案では、未来時表現やリズム・イントネーションといった項目を指導することが最終の目的で、その過程に手段としてスピーキング練習や発音練習が存在しています。もちろん、そういった指導が大切であることは当然ですし、そういった練習を重ねることがスピーキング力につながっていくこともわかります。また、記述文法的な文法知識も、学習者が自らの言語使用をモニターするための明示的知識として必要なものであり、それ自体は言語学習において大切なものです。
しかし、よく言われるように文法学習の最終到達地点は項目として知的に理解されることではなく、英語を運用する時に無意識に働いて効果的にコミュニケーションが取れるようになることです。そう考えると、学習者が運用のツールとして利用できる規則体系としての「文法」が必要なのではないかと私は思うのです。極端に言えば、「この規則にさえ従えば英文が理解できる」「この規則にさえ従えば英文を作ることができる」という類の規則です。
端的な例としては「寺島の記号づけ」が挙げられます。英語には豊かな規則体系がありますが、英語を外国語として意思伝達のツールに使うという限りにおいては、それこそ「セン・マル・セン」ぐらいにシンプルな規則体系の方が使い勝手がよいものです。そして、学習文法の研究においては、枝葉の部分はいったん横に置いて、運用に資するシンプルな規則体系を追究することこそが指導に直結してくる研究だといえるでしょう。
そういった観点から本書を見ると、学習者自身が運用に使えるツールとしての文法についてはほとんど論じられていないことがわかります。その意味で、学習文法に関する文献としては私にとって不満の残るものであったということになります。
また、特に実践に関わる章の構成も気になりました。まず当該のトピックについてこれまでの研究成果を概観、あるいは言語学的な知識を整理したうえで、それを理論的基盤として指導を組み立ててみた、という手順がほとんどでした。たしかにわかりやすい手順です。しかし、忘れてはいけないことは、「言語習得のプロセスがこのようになっている」「英語という言語はこのようになっている」、<だから>「英語をこのように指導すればよい」というのは、実は論理の飛躍であるということです。
あるものがある特定の状態に「ある」、という<状態の記述>と、そのものをその特定の状態に「する」、という<変容を引き起こす手段>は必ずしも直結しません。たとえばソフトテニスでは上手な選手はインパクトの瞬間、ボールとラケットが30〜40cmの間接触していると言われますが、選手に対して「30〜40cmの間ボールとラケットが接触するように打ちなさい」という指導を行ってもあまり効果はありません。むしろ、30〜40cmの接触という事実を直接指示しないような練習を重ねるなかで自然にそうなっていくものです。
そういった意味で、本書の示す実践事例はやや理論に傾きすぎており、発想が少し短絡的になっているようにも思われました。実際の指導においては、本来指導しようとしている項目とはあまり関係がないように見える活動も含め、日常の指導言や指導者の授業マネージメントなどさまざまな仕掛けが総合的に働いて指導の成果が現れてくるものでしょうし、本書の著者たちもおそらくそのような仕掛けを持っているものと思われます。しかし、そういった総合的な観点が示されず、「理論→実践」が短絡的にしか示されていないことが残念でした。
もちろん、個々の論考を見るとそれぞれに有益な議論がなされています。たとえば第1部第1章「リーディングと文法指導」において提案されている学習文法の要件は、私自身が考えていたこととかなり重なることもあり、たいへん納得して読みました。また、第U部第1章「コミュニケーション観と文法指導」は、コミュニケーション(能力)観やそれに基づく言語指導観が丁寧に整理されていて、各自が無意識に抱く英語教育観を意識的に捉えなおす上で秀逸の論考です。
このようなわけで、本書は文法指導とコミュニケーション指導の関係を考えるのに興味深い観点を示してくれているのですが、学習文法観に関しては上に述べたような問題があると私は考えています。読者自身がよく考えて自分にひきつけながら丁寧に読むべき文献だといえるでしょう。
|