2001.10.5.『学習指導の方法と技術』 西林克彦・三浦香苗・村瀬嘉代子・近藤邦夫(編) 新曜社 2000年 1800円

本書は「教員養成のためのテキストシリーズ」のうちの1巻で、そのシリーズ名からも明らかなように、大学の「教職に関する科目」のテキストとして用いることができるように編集されています。本文の総ページ数が131で4部20章、という構成からもわかるように、個々の議論自体はそれほど深く掘り下げられたものではありません。

しかし、議論の的は充分に絞り込まれており、学習および学習指導についての基礎的な知識や考え方を身に付けるには格好のテキストとなっています。

本書は上記のような性格から、特定の教科の学習ではなく、学習一般について述べるものとなっているわけですが、そのぶんだけ、学習という営みの本質的な部分についてあらためて考えるきっかけを与えてくれるように思いますし、それは英語という個別教科の学習について考えなおすことにもつながってくるのではないかと私は感じました。

たとえば、学校での学習について次のように述べられています。

「このように、各種知識を獲得し、それを使って以前よりできることが増えることは、自己の可能性を拡大し、われわれに自己効力感をもたらし、充足感をもたらす。学び続けることによって、われわれは健康な自己意識を維持できる。持続的学びがないところにアイデンティティの形成・維持はないといってよいであろう・・・しかし、残念なことに、現在の学校教育のなかで教えられている知識は、必ずしもわれわれに充足感をもたらすことにはなっていない。その知識が、世界と交渉する道具として妥当なものなのか、役に立つのか、何かの基礎とすれば、何の基礎なのかなどということが、明確にされないまま教えられることが少なくないからである。したがって、学校教育や受験を経験したほとんどの人が、教育内容の多くの部分について、「こんなことをやって何になるのか」と思いながら、過酷な暗記に耐えているのが現状である。」(p.4)

私は、1時間1時間の英語授業において、そこで教えている内容が、学習者にとってどのように有用であるかを充分に把握したうえで教えているだろうか。一見その有用性が明らかであるように思える言語というものの性質に甘えてきたところはないだろうか。そんなことを自問させられます。

また、知識の更新について述べられている次のような言葉にはハッとさせられました。

「ある知識を与えられれば、学習者はたしかに以前よりできることは増えるだろう。しかし、与えられた後、その知識が変化しなければ、できることは変わらず、同じことの繰り返しで進歩はない。これでは学習者に充足感はない。ある意味で知識に縛られた状態である。知ることによってものの見方や対処が、かえって堅くなりパターン化するのはこのような場合である。与えられた知識をいつも決まった仕方で使用するならば、破綻はない。破綻がないから進歩もないのである。」(p.6)

「所与の知識を決まり切った使い方をしていれば、破綻がなく進歩もないのである。しかし、知識を使い対象と交渉するなかで、知識は試されていくのである。有効な知識とそうでないものとがふるいにかけられるのである。」(p.6)

「それまでに得ている知識と矛盾するような情報に接して生じた疑問や違和感・不全感が生じると、それが探求への動機づけを高める」(p.24)

与えられた知識を生徒自身が試してみることで、さらなる知識を獲得するチャンスが生まれるなどという発想を、私はしてきただろうか。それ以前に、与えられた知識を試す機会を充分に保証してきただろうか。これもまた考えさせられる問題です。

あるいは、学習の原理について論じている部分において、このように述べられています。

「学習を促進する場というのは、系統だった知識・技能体系をわかりやすく効率的に伝授する環境というだけではなく、学習者にとっていま必然性のある課題を、自由な表出が保障される対等の関係を基盤に、互いが触媒になりながら吟味しあい創造しあって、何か具体的な表現として結晶させていくという共同プロセスにある。」(p.19)

おそらく筆者にしてみれば、英語教育のことが特に念頭にあったわけではないでしょうが、なんとも英語教育を論じた文献の中でも頻繁に出会いそうな記述です。私自身は、とかく前半の「効率的な伝授」(その1つの究極が予備校の講義でしょう)に心を奪われがちであり、後半部分への配慮ができていないのではないかなあ、と反省しきりです。

このように、本書には、直接的に英語教育に論及しているわけではないのに、議論の一つ一つが(少なくとも私自身の)英語教育に対して示唆を与えてくれる内容があるように思います。

上に紹介した議論の他にも、心理学的な見地から捉えた学習についてや、教師の仕事の本質についての議論、あるいは、学習活動の分類やグループ学習について等、多様な観点から学習と学習指導についての議論が展開されています。

冒頭に述べましたように、あまり深い議論には至っていませんが、それでも充分に英語教育について考える手がかりを与えてくれていると私は思います。やはり、英語教育について考えるとき、英語教育プロパーの狭い枠内だけに留まることなく、できる限り、幅の広い視野を持つことが大切であるなあ、と、改めて感じました。



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