2001.1.4.『英語授業レベルアップの基礎』 斎藤栄二(著) 大修館書店 1996年 2000円

「斎藤栄二3部作」(そんな呼び方があるのかどうか知らないが)の第2作目です。学部時代に友人から「この本良いよ」と紹介されたまま、なんとなくタイミングが合わなくて、ようやく最近になって読みました。地道なタイトルに似合った(?)地道な内容の本ですが、今の私にとってはかなり痛い指摘がなされており、いろいろと考える材料が本書から得られたように思います。

ちなみに第1作と第3作はそれぞれ『英語を好きにさせる授業』(1984年,大修館,1200円)、『英語授業成功への実践』(1998年,大修館,2000円)です。こちらの2冊にもいろいろと考えさせられました。特に前者には「原点に戻って考える」部分が多く、面白くもあり、痛くもあり、でかなり興味深く読みました。また、2冊とも比較的具体的な話が多いので読みやすく、3冊通して読むのもあまり苦にはなりませんでした。

さて、その第2作めの本書は、著者が自身の英語授業観やそれを支える理論的根拠を提示し、そこから、いま英語授業をどのように改善していけばよいか、示唆を求めようという本です。論考の方向性自体は、最近の「<英語教育>教育」を受けた人間にとっては、わりと当然と言えば当然のことが述べられていますし、それほど目新しいことをドカンと主張しようというわけでもありません。納得できない部分も多いですが(後述)、全体的には良識的な英語授業論であろうと思います。

そのような内容ですから、1年前の自分であればそれをありきたりであると感じ、「ま、そりゃそうだ。たしかに。うん。」で片付けてしまい、こうして書評することもおそらくなかったのではないかと思います。しかし、今年度から非常勤とはいえ日常的に高校で授業をするという経験をするようになった私にとっては、かなり頭をガツンとやられた感じを受けました。理屈ではわかっているつもりでも、いざ実践となると「ついつい…」「知らず知らず…」良くない方向に流されがちな姿勢を、厳しく叱責されたように思いました。

まず第1部においては、「授業を豊かにするための17の視点」と題して「英語を使う時間を少しだけ伸ばしてみよう」「英文和訳を少しずつ減らそう」「生徒の立場から授業を見なおそう」「<コミュニケーションのための文法>にしよう」などの提案を行っています。近年の英語教育論においてはもはや「常識」となっている主張ばかりですが、自分の授業を省みたとき、果たしてそれが「常識」と言えるかどうか…。

たとえば授業改善の心得として特に掲げている「10の原則」を見てみましょう。著者は「授業を何回かやっているうちに、その実践の中から自然に生まれてきたもの」であると断ったうえで、次のような原則を提示しています。きっちり10項目に収まるというのも不自然な話ですが、そういうことを言い出すと、「各項目の抽象度にバラつきが見られる」とか、「項目間に質的な重複が見られる」などとキリがなくなってしまうので(苦笑)、ひとまずその辺りは無視することにしましょう。

(なお、著者はおそらく中学校の授業を主たる関心事としてこれらの提案を行っているので、高校の授業に即あてはまることばかりではないでしょうが(項目4,5,9など)、かといってまったく関係のないことを言っているわけでもなく、主張の根本的なところは中学校・高校に共通して該当すると思われます。)

「授業改善10の原則」(p.56)

1.やさしいものをむずかしく教えるな

2.学んだものを使わせよ

3.英語についての説明はできるだけ避けよ

4.生徒を動かせ

5.ゲーム化を考えよ

6.教師がやってみせよ

7.絵を使え

8.和訳をできるだけ避けよ

9.生徒の相互活動を考えよ

10.教師はできるだけ英語を使え

いかがでしょうか。私は相当ギクッとしました。「ことさらに難しい説明法を持ち出してしまったことが何回もあるなあ…。教えっぱなしで、使う練習なんかほとんどしてないなあ…。英語についてやたらと説明するなあ…。和訳しまくってるなあ…。英語使ってないなあ…。……。」………。。。

とまあ、落ち込んでしまうわけですが(苦笑)、重要なことは、これらの提案が、授業に悩む英語科教員をことさらに追いつめるための「べき論」ではなくて、むしろ授業を改善するための視点として与えられているということです。「今の授業に満足していないのなら、やたらと説明するのをやめてみてはいかがですか?前時・本時で学習した内容を実際に使ってみる機会を作ってはいかがですか?絵を使ってみてはいかがですか?」という著者からのアドバイスというわけです。

また第2部においては、Krashenのいわゆるインプット理論を主たる理論的基盤として、リスニングをベースに英語授業を組み立てることが提案されています。これは、言語習得においてまず必要となるのが大量のインプットであり、特に音声は言語能力の土台をなすものであるにも関わらず絶対的に不足しがちだから、などの理由からです。このリスニング重視という主張は、より授業論的な観点から考えても、授業内容にバラエティを持たせるというような意味で1つの興味深い提言だと思います。

なお、リスニングをベースとした授業の構成に関しては第3作『英語授業成功への実践』が重点的に扱っていますので、詳しくはそちらをご参照ください。シンプルながら具体的な提案がなされています。

さらに著者は、英語教育における文法の役割について、「4技能すべてに共通した前提となる文法力を向上させることが4技能の力の向上につながる」という考え方を否定します。この考え方はこれまでの英語教育において文法指導が偏重される際の論拠であったということですが、残念ながらそのようなやり方では、英語の文法についての参考書的知識は増えても、実際に英語を運用する力の向上にはあまり寄与しない、と著者は言います。

そして英語運用力向上のために著者が提案するのが、

「聞く力を伸ばそうとするなら、聞く練習をさせなければならない」

「話す力を伸ばそうとするなら、話す練習をさせなければならない」

「読む力を伸ばそうとするなら、読む練習をさせなければならない」

「書く力を伸ばそうとするなら、書く練習をさせなければならない」(p.191)

というものです。実に簡単明瞭で、当たり前で、それでいて納得させられる意見です。もちろん、何につけ問題がこれほどに単純であるということはありえませんし、著者にしてもこのようなまとめ方で結論が出せると考えているわけではないでしょう。しかし、学習指導要領に記述がないにも関わらず「グラマー」の授業が幅を利かせる現状においては、問題の核心を鋭くついた見方ではないでしょうか。

本書では他にも、授業に対する生徒の意見を求めることの意義や、学校教育の一環としての英語教育、人間としての教員(これはやはり大切ですね。「不徳の致すところ」としか言いようのない失敗をすると特にそう感じます。余談ですが…。)、家庭学習のありかた、など様々な点に関して述べられています。

さて、このように、私自身は本書を読んでかなりの刺激を受けました。ただ、一方で冒頭でも述べたように納得できない部分も多かったので、最後に少しだけ不満の残る点を指摘したいと思います。

1つには言語習得理論に安易に依拠しすぎているという点があります。たしかに言語習得研究では、言語がどのような過程を経て、どのようなメカニズムで習得されているか、ということが少しずつ明らかにされてきています。しかし、「言語はこのように習得される」という記述的な研究結果を根拠に、「だからこう教えたら効果的」と主張するのは、明らかに論理の飛躍であると言わざるを得ません。

これが教科教育学の難しいところだと思うのですが、人間の頭の中はどのような状態になっているかという記述と、その状態を効果的に作り上げるにはどうすればよいか、という応用的な側面は必ずしも直接的な関係にはないわけです。じっさい、著者が依拠するKrashenらの言語習得研究者も、「ある特定の習得順序が見られるからといって、その順序どおりに教えるのが良いかどうかは不明」というようなことを言っており、言語習得研究と言語教育研究を安易に関連付けることの危険性はこれまでにも指摘されています。

ですから、著者のように「言語<習得>がこのように行われるから、言語<教育>はこうすべき」というのは、ちょっと暴論ではないのかな、という印象があります。

また、本書は1996年刊とはいいながらも、過去に各種雑誌などで発表した文章を集めて再構成したものですので、90年代の視点からすると古く思える議論が少なからず含まれています。

特に気になったのが、著者の依拠するインプット理論ですが、これは言語習得研究では既に古典の域に入っていると言ってもよいぐらいのものだと思いますし、他の修正意見も数多く提唱されています。本書ではそれらの異なる立場への言及は皆無に近く、いかにも「インプット理論が最新」といった調子で話が進んでいますので、その辺りは少し気をつけなければならないところでしょう。

さらに、「生徒の立場に立って」と言いながら、議論の前提となる学習(者)観は昔ながらの注入主義という感が否めないというのも気になります。生徒が、授業やクラスの成員と主体的に関わる存在としてではなく、単なる個体としての「言語習得マシン」として捉えられているような印象を私は持ちました。「生徒に目を向けろ」というなら、それなりの学習(者)観をもっと提示すべきであったと思います。

また、「文法の役割は小さい」と著者は言いますが、何をもって「文法」と呼ぶかという、著者なりの文法観が示されていませんので、いまひとつ説得力のない議論にしかなっていないことなども気になりました。(文法観の問題については、稿を改めて論じたいと考えています。)

さて、やや不満が残ることは否めない本書ではありますが、良い本であることに変わりはないと思います。少なくとも、「当たり前」のことが当たり前ではなくなってしまっていた私にとっては良い刺激となりました。本書を読んだからといって、すぐさま授業が劇的に変化するということはないでしょうし、それが賢明なことだとも思いませんが、中・長期的に自分の授業を変えていく1つの手がかりになったと思います。



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