1999.10.16. 『ネイティブ感覚の英文法』ジャン・マケーレブ 朝日出版社 1998年 1200円
英文法関係の本としては、久しぶりに脳みそのほぐれるような気持ち良さを感じさせてくれるものに出会ったというのが、本書に対する私の読後感です。著者は高校の英語教師として来日、大学院で古代・現代日本語、日本文学、教育学などを修めた後、NHKのラジオ・テレビの英語番組の講師を勤めたという経歴の持ち主。さすがに言語(教育)に関しては一定の見識をお持ちのようで、それが本書を「あなたの英語はこんなにおかしい」式のネイティブ礼賛本とは一線を画す良書たらしめているように私は思います。
また、なにより読んでいて気持ちが良いのは、「受験英語=ダメな英語」などと短絡的に決めつけない良識的・客観的な態度であると私は感じました。たとえば、外国語を身につけるには「使いたいものを使いたい形で耳に入れよう」というアドヴァイスをしている箇所での、
「あくまで試験でいい点を取るために文法のルールや単語のリストを暗記することが目的であれば、文法や単語を覚えればいいわけです」(p.131)
という意見は、よくある「受験英語学習は英語学習にあらず」といった近視眼的な論調(それなりに納得できる議論はありますが)とは明らかに異なるものでありましょう。(1)
本書の主な内容は、冠詞や時制、仮定法といった日本人が困難を覚える文法項目についてのピンポイント説明です。説明は、ネイティブ・スピーカーの視点から、「こういう意味・気持ちを表現したいときはこの形式を使う」といった形で与えられています。説明の内容自体は、(さすがに腐るほど類書が出まわっていることもあり)「目からウロコの連続!」とはいきませんし、「?」と首をひねらざるを得ない恣意的な説明が全くないというわけでもありません。しかしながら、仔細に眺めればネイティブならではの斬新な記述が随所に見られ、特に受験英文法に通じている人間には新鮮な情報が少なくなからず得られるように思います。
たとえば、冠詞について述べている部分で、「a と the はペアではない」として、
「つまり the は、その名詞に a が付くか、付かないかという論理とは独立したものなのです。a か the か、ではなく、a か -s か、そして the を使うべき話の流れか、the を使うべく、単語の指す意味が限定されているか、いないか、というのがポイントなのです。」(p.39)
のように説明されています。 普通ならば、 a と the を対立的に捉えて「定/不定」などの意味概念を基準とした説明を行うことが多いところではないかと思われます(もちろんそれが悪いというわけではありませんが)。このように、ノンネイティブが無理やり統一的な理論で説明しようとする事象を、いともあっさりと「それは別々の現象だ」と言えたりする(その逆も)のは、やはりネイティブの強みでしょうか。他にも、if 節のない仮定法についての、
「仮定法の条件はできれば手短にすませたいというのが人情でしょう。」(p.71)
などといった説明は、「言語の省力志向」をすらりと言ってのけた、説明のことばとしてはひじょうに完成度の高いものではないかと思います。受験用の英語指導では、if 節のあるほうが普通(無標)で、if 節なしの方はどうしても、要注意の例外(有標)であるといったアプローチになりがちです。だから、日本人がちょっとやそっと英語を勉強したぐらいでは、これほど簡潔にして納得してもらいやすい説明言は出てこないのではないかという気がします。(というか、私自身はこのような説明ができていませんでした。。。反省。)それにしても、「人情」なんて含みの多い言葉を無理なく使える著者の日本語力には、ただ、ただ、敬服。m(_ _)m
また、こういったネイティブならではの説明だけでなく、いわゆる「そんなエーゴ使わないよ」という情報も盛りだくさんです。といっても、たいして重要とも思えない項目をあげつらって、ことさらに英語を使うことへの不安感をあおるような類とは質が違います。読者に対して、「へえ、そんなこと気にしなくていいんだ!」「なんだ、英語ってわりに気楽に使っていいんだね」という安心感を与える情報とでも言いましょうか。ようするに、今まで不必要に厳密に教えられ、学んできたことについて、「そんなに肩肘はらなくたっていいんですよ」と著者が語りかけるわけです。
たとえば、私にとって最もショッキングだったのが、いわゆる「クジラの公式」、
A whale is no more a fish than a horse is.
によって導入される(最近はさすがに見かけませんが)、no more/less (…) than〜、 not more/less (…) than〜の構文について、
「はっきり言ってしまいますと、no more [less] than と not more [less] than をちゃんと使い分けられるネイティブ・スピーカーはあまりいないと思います。いるとすれば学校の英語(「国語」)の先生くらいじゃないかと思います。これらの使い分けが間違っているというわけではありませんが、まず、この場合の no と not を見事に使い分けられるネイティブ・スピーカーには英語の先生以外にはお目にかかったことがありません。…どちらの場合にしtも not を使わずに no more、no less ですませてしまっている人が多いのです。実際の会話などで、その区別をしようとしてもほとんど無駄です。」(p.89)
「無駄です」ってアンタ…。一生懸命この使い分けの説明方法を考えた私はどうなるの…?まあ、愚痴はさておき、ようするに not more/less (…) than〜 の構文はほとんど使われないということなのだそうです。この後に述べられているのですが、著者が独自に行ったアメリカでの調査でも、両者の区別ができない人が「圧倒的」であったようです。著者は現代日本語学を大学院で学んだそうですから、調査方法がお粗末でどうにもならないということはないと考えてよさそうですし…。仮にお粗末な調査だったとしても、日本で出版される英語参考書が、どれもこれも取り上げねばならないほどの重要項目ではないことは確かでしょう。
他にも、比較級が-er型かmore型かで迷ったら、more型を選んでおけばよいといったアドヴァイスなども、ネイティブならではの鷹揚さであり、こう言ってもらえると、英語に悩む日本人としては気が楽になるのではないでしょうか?
もちろん、これらの指摘に関しては、コーパスなどを利用した「正統的な」英語語法研究による結果を待たずに軽々に結論を出してしまうことは、特に言語教育に携わる者としては、避けるべきでしょう。しかしながら、教養ある(と考えて良いと思いますが)1ネイティブ・スピーカーにはこういった言語直観が働いているということを知るだけでも、私にとってはずいぶんな刺激でした。
最後に、日本における英語学習の現状について、著者がどのように述べているかをご紹介しましょう。
「言葉はどんどん変化しています。ネイティブ・スピーカーが内臓したグラマーに沿って、シンプル化が進められています。繰り返しになりますが、日本での英語学習は、どちらかと言えば、その変化してしまいやすい、はかない、細かい部分の学習に、間違いさがしのようにして、力を入れすぎてきたところがあるのではないでしょうか。」(p.123)
(1)かといって、私が「受験英語」賛成派であるというわけではありません。あくまで、動かしがたい現状において半強制的に「受験英語」学習を行わねばならない学習者が存在するわけですが、その学習者が「英語」学習をしていないか、というと、そうではない、という意味です。「受験英語」そのものには多くの弊害があると私は考えていますし、大学入試での英語必修状態も解消されるべきと考えています。テスティングの問題等別の要因も絡んでくると思いますので、この問題に関しては稿を改めて論じたいと思っています。