2003.1.7. 『英語教育と英文法の接点』 岡田伸夫(著) 美誠社 2001年 2381円

「英語教育(学習・習得)に文法は必要か」という問いが(軽率にも)発せられることが未だにあります。この問いは、教育・学習の目的が何か、目標の到達点はどこか、そして何より「文法」をどう定義するかによって、答えはどうにでも変わりうる問いです。逆に言えば、これらの前提が定まらないことには実質的な意味を持たない問いであり、各人がバラバラな前提を持って議論をしたところで、けっして実のある議論にはなりません。

そのような問いに対して本書の著者は、前提条件も含めて次のような「答え」をまず提示します。

  『英語における音と意味の対応関係を表す知識(=英文法)を習得せずに、英語が、場面に即して聞けたり話せたり、読めたり書けたりするはずはない。その意味では、文法を教えることが必要か不要かとか、文法が好きの嫌いのと議論する余地はない。さらに、英語教育でことばのおもしろさや、ことばの奥に潜むものの見方、考え方について考えさせることも狙うとすれば、文法指導をしないわけにはいかない。学習者が、英語を使う(文法上の間違いをする)ことに対する心理的な抵抗を克服し、積極的に発信していくためには、評価に際して、コミュニケーションに差し支えない範囲の文法上の間違いを見逃す姿勢が必要になるが、そうかと言って当初から学習者に文法を蔑ろにする姿勢を植え付けるようなことがあってはなるまい。生徒が成長し、生活のいろいろな場面で英語を使うことになれば、"Me Tarzan, you Jane."ではすまないレベル、フィーリングだけでは手も足も出ないレベル、別の言い方をすれば、文法規則を活用して複雑な内容を豊かに表現しなければならないレベルにすぐ到達する。』(pp.4-5)

こうして「文法必要論」の立場を明確にしたうえで、現在の学校英文法の抱える問題、特に文法の内容の問題を次のように指摘します。

  『現在の学校文法にはいろいろな問題がある。まず、間違った規則や語法、ナンセンスな説明、現在では通用しなくなった規則や語法がいまだにあとを絶たない。相変わらず、多くの例外を伴う適用範囲の狭い「規則」が並んでいる。言語事実の列挙に終始し、言語事実に対する納得のいく説明がなされていない。また、日本語と異なるために学習者にとって習得困難となるポイントが集中的に手当されているわけでもない。規則と例外が等しく扱われているなど、メリハリがない。』(p.6)

簡潔な指摘ですが、ひじょうに重要なポイントを示していると思います。キーワードは「規則の適用範囲」、「言語事実に対する説明」、「規則と例外の軽重づけ」でしょう。特に、規則の適用範囲というのは、多くの問題の根底に潜む問題点といえます。個々の文法項目の説明力を高める=一般化を進めるという点からも、また、以後の学習において幅広く適用することになる文法知識を初期段階で集中的にケアするという点からも、たいへん大きな意味を持っている問題点であると思います。

さて、このように現在の学校英文法の問題点を指摘した上で、著者は次のように述べます。

  『文法派、アンチ文法派、中間派のいずれも、文法と言うと、同じ伝統的な学校文法を想定するという点では同類である。』(p.6)

意外と見落とされがちな観点ですが、まさにこれが要所だと私は思いました。「英語教育と文法」をいくら熱心に論じてみたところで、「文法」の内実が「伝統的」な(ようするに「古くさい」)言語記述を想定している限り、あまり文法指導のあり方についても有益な知見は今以上には出てきにくいでしょう。

  『英文法指導の成果があがらない原因は、教え方のまずさにあることもあるが、教えるべき内容自体の不備にあることもある。不備のある内容は、どのような方法で教えても効果をあげることはできない。逆効果になることもある。』(p.14)

と著者の指摘するとおりでしょう。
このような状況を改善するために、著者は「学校文法そのものの改良を目指す立場」を取ると言い、次のように説明します。

『近年、生成文法、談話文法、機能文法、語用論、認知言語学などの英語学・言語学研究における進歩は目覚ましく・・・文や談話の構造や意味に関して多くのことが明らかにされてきている。また、興味深い言語事実や適用範囲の広い規則もたくさん発掘され、いままでばらばらに扱われてきた言語事実を統一する見通しのよい説明もいろいろ発掘されてきている。これらの成果をもっと積極的に学校文法に取り入れていけないだろうか。』(pp.6-7)

ここが本書の主張の要諦です。「英語教育における文法」を論じる際に、「文法」そのものの内実を見直すことで、最終的には実際の指導につなげていこうと著者は提唱するわけです。これまでは、この領域の議論において、(無意識的に)文法体系を所与のものと捉えていたきらいがあるように、私も感じていましたが、著者の主張は、そのような傾向に対する挑戦であると思います。

と、ここまで本書の第1章・第2章から長々と引用をすることで本書の哲学の部分を紹介しました。私はこの第1・2章だけでも、議論の対象とする価値が充分にあると思います。「学習文法」と「学習文法研究」のあり方について、英語教育を語る観点が幅広くなってきている現在だからこそ、本腰を入れて考えなければ、「英語教育」から「英語」が抜け落ちてしまう危険性があるのではないでしょうか。

さて、本書ではこのような観点から学校英文法の改善案を具体的に提案しています。特に第2部では、個別の言語項目に焦点を当て、最近の英語研究で何がわかっているかが具体的に紹介されていて、著者の考える「学校文法改善」の方向性がよくわかります。また、本書の最後にあたる第21章〜第23章においては、英語教育の文献としては高度な言語学的議論が展開されており、今まで専門的な言語学・英語学理論になじみのなかった英語教員にも、その専門的議論の一端を垣間見ることができて興味深いのではないでしょうか。

ただ、正直に私の感想を述べるとすれば、各論はやや期待はずれであったなあという気がします。というのは、より一般化された規則を目指すとはいっても、本書で紹介されている「新規則」の多くが、従来のものから格段に一般化されているというわけでもなく、それらの「新規則」をもって「新しい学校英文法である」とするにはあまりに足りないと思われるからです。

学習文法についての議論でよくあるのが、「これこれの言語事実には、実はこんな統一的な説明ができるんですよ」という紹介をするものの、実は「説明」の部分の分量が多く、それをそのまま取り入れたのでは、むしろ学習文法の総量を増やしてしまうケースです。そのような場合、その理論を学ぶ者、特に「現場」を持つ教員にとっては「あれもこれも、またこれも、新しいことを学ばねばならない。新しいことばかりが追加されて大変だ。」という疲労感をつのらせる結果にしかならず、学習文法の研究としては(少なくとも実践的には)あまり良くないと私は考えています。

そのような意味では、本書で紹介されている個々の理論の多くも、文法好きな教員の知的好奇心を満足させることはあっても、すぐさま中学生・高校生の英語理解に資するとは思えません。また、特定の項目の説明に使える一般理論はあっても、年間を通した指導を考えると一時的な適用に限定され、他の項目の理解にも転移することが期待できるものは多くありません。転移が効かないと、結局は学習者の負担を増やすだけに終わる危険性があります。

むしろ、学校英文法の有用性を有意に高めようとするならば、英文法全体を貫く「原理」を基盤にして、その基盤との関連において個々の項目を配置していく方向での研究が望まれます。本書で扱われている例で言うならば、第6章・第7章における「句」の概念や、SVOO文型について論じられている構文論的アプローチのような種類の研究こそ、よりいっそう発展されるべきものではないでしょうか。

とはいえ、やはり英語教育の研究から「英語」「言語」が抜け落ちがちな昨今の状況を考えると、本書のような文献の存在は大きいと思いますし、「英語教育に英語を復権する」という主張は正当なものといえるでしょう。英語学・言語学の分野では理論が相当に高度化しており、もともとコミュニケーション志向や人格教育志向の強い人間の多い英語教育界では、本書のような学習文法研究は流行りにくいとは思いますが、それだからこそ余計に本書の主張、特に第1章・第2章の議論には耳を傾けるべきだと思います。



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