掲示板「おーぷん・すぺーす」での takuo iwakata さんとのやり取り
[投稿日時] 2010年 1月 8日(金)11時26分53秒
[題名] 初めまして
[投稿者] takuo iwakata
昔、企業人として英語を使って仕事をしていた隠居老人です。そんな関係で英語教育には興味を抱いております。
たまため貴殿のサイトを開き、感心しながら労作をいくつか読ませていただきました。
なぜ「コミュニケーション重視なのか」には大いに興味をそそられました。私は中・高の学習指導要領には大いに疑問を抱いております。長年抱いていた私の見解を述べますので、貴殿のコメントをいただければ幸いです。
1.日本人が日本に住んでいて、英語で内容のある本当の会話、おしゃべり会話をするこ と、映画が英語で楽しめることなどは不可能に近い。理由は日本語と英語の言語的距離 にあるので、画期的な方法が発明されない限り難しいだろう。
2.まして、中・高時代という限られた時間に会話力をつけることは時間的にも困難であ る。この年頃にはもっと他に勉強することがあるはずだ。
3.会話力をつけるにはやはり英語国で生活しなければつかないし、効率的だ。今は語学留 学も容易にできる。だから、学校においては、語学留学をしたり、海外駐在員となった りしたときに現地で英語力をグンと伸ばせるような基礎をがっちり教えるべきだ。
4.その基礎とは文法、読解、作文、発音の四つである。これが指導要領書の目的となるべ きである。これだって、立派なコミュニケーション能力の要素である。
企業としも、パーティでぺらぺら内容のないことをしゃべる者よりも、このような基礎 を持って、訥弁英語でもよいから内容のあることがしゃべれる大卒者が欲しい。
なお、私が対象として考えている生徒の水準は中の上あたりから上です。勿論トップ5%の生徒については上記以上の目標に挑戦していただくのは構いませんし、そうであって欲しいと思います。
このような考えに基づくと、当然、今やられようとしている小学校英語には否定的になります。それから、本で目にする、優秀な先生方による「コミュニケーション能力を養うための授業」へ挑戦というのも、なにか無駄な努力のような気がしてなりません。
この不可能と思われる目標が、私のいうような簡単なものになれば、先生方も大いに救われると思えてなりません。
採用試験にも現場代表として何度か出たことがありますが、英語力に対する採用基準は上記のようなものでやってきて、あまり間違えたことはなかったと思います。人事部は会話力重視派だったので、大いに対立したこともありましたが、長年の結果を見ると私の勝ちのようであったことを申し添えます。
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[投稿日時] 2010年 1月 9日(土)12時22分3秒
[題名] 学校で教えるべき英語とは
[投稿者] 山岡大基
> takuo iwakataさん
はじめまして、コメントをちょうだいし、ありがとうございます。
語学論として真っ当である思います。
また、
> 企業としも、パーティでぺらぺら内容のないことをしゃべる者よりも、
> このような基礎を持って、訥弁英語でもよいから内容のあることが
> しゃべれる大卒者が欲しい。
の部分には、たいへん勇気付けられる思いがいたしました。
さっそく私の考えも申し述べたいところなのですが、
この連休は落ち着いてコンピュータに向かう余裕がありません。
今日のところは、まず貴重なご意見をいただいたことに感謝申し上げますとともに、
ごく簡単に私の考え方の枠組みをお示しするにとどめたいと思います。
ポイントは、次のどの立場から見るかによって「望ましい英語教育の方法」は
変わりうるということです。
(1)(自ら)学ぶ立場
(2) 学ばされる立場
(3) 学ばせる立場
端的に申し上げれば、takuo iwakataさんのご意見は、(1)(3)の立場から見れば
きわめて真っ当だが、(2)の立場から見たときだけは少し事情が異なってくる、
と思っています。
たいへん勝手ながら、とりあえず、今日はここまでにとどめさせてください。
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[投稿日時] 2010年 1月13日(水)02時21分10秒
[題名] 英語教育論
[投稿者] 山岡大基
遅れましたが、続きです。
繰り返しますが、takuo iwakataさんのおっしゃることは、「語学」という観点からは
とても的を射たものだと思います。
「英語教育」=「英語の教育」(teaching of English)という定義において、
「英語の習得をいかに効率化するか」と問い、
そこに「日本の学校教育の枠内で」という制約をかけた場合、takuo iwakataさんの
お示しになった英語教育の枠組みは現実的なものでしょう。
これが学校の英語教育の中で、そして社会の中で機能してくれたら、
まさに「大いに救われ」ます。
ただ、この英語教育論が現実的に機能しうるにも、条件があります。
それは、学習者の動機づけです。
英語の習得を明確に目的として意識できており、その目的を達するためには
ある程度は労力を惜しまない学習者であれば、この英語教育論の説くところに
納得したうえで、その指導に従い、成果をあげることができるでしょう。
これが、前回私がお示しした「(1)(自ら)学ぶ立場」です。
また、「(3)学ばせる立場」=指導者・教員としても、私が述べたように、
このような考え方は理解できるものです。
「なぜ『コミュニケーション重視』なのか」の中でも述べたことに関連しますが、
自らが学習者として一定の成果をあげてきた者ならば、語学には努力が必要なことは
身をもって理解していますから、少々面白みのない学習にでも高い動機を持つことができます。
しかし、「(2)学ばされる立場」だけは事情が異なります。
自らが主体的・積極的に英語を習得したいと思っているわけではない。
特に英語に興味もないけれど、次の進路(進学・就職)に必要だからという
道具的な動機づけだけで英語学習に取り組んでいる。
あるいは、英語の道具的価値すらも感じず、ただ学校の教育課程で学ばねば
ならないことになっているから仕方なしに授業を受けている。
そのような学習者にとっては、「文法、読解、作文、発音」と言われても、
あまり気乗りするものではありません。英語学習にはできれば労力をかけたくないし、
学校の授業もできるだけ負担の軽いものであったほうがよい、と思うかもしれません。
とすると、同じ授業時間を費やすなら、「語学ゴリゴリ」よりは、
コミュニケーションという「オブラート」に包まれた授業の方が、
動機づけへの作用は高いことが予想されます。
表面上は役に立つんだか立たないんだかわからないような「コミュニケーション志向」
の授業でも、そこに少なくとも生徒を学習に向かわせる作用があるならば、
結果として「語学」の成果にもプラスの効果が出ます。
また、学校の英語の授業を「語学」の論理だけで押し切るわけにはいかない、
より本質的な事情もあります。
それは、学校が「学習の場」であると同時に「生活の場」でもあることです。
これは、まだ大人の社会にチューニングが合わせられない子どもを預かり、
徐々に社会化する学校の本質的な機能の1つなのですが、つまり、そういった
発達段階にいる生徒にとっては、英語学習を完全に客体化してとらえることが
難しいことが少なくありません。
大人であれば、語学を自分の生活や人格とは切り離して、それ自体として訓練にいそしむ
ことができるのですが、子どもの場合は、そこに自分の人格がより直接的に関わってきます。
どういうことかというと、たとえば教材の用例に、JohnやらMaryやらといった、
自分とは何の関係もない架空の人物がhad a serious accidentであったり
met an old friend of hersしたりという、自分には何の関係もない行為をする内容のものが
少なくありません。
大人の場合は、これを「非人格的に」扱い、あくまでも何らかの語句や文法の例示のための
ものだと割り切って学習をすすめることができます。
しかし、学習と生活が未分化な生徒の場合、これでは学習動機は高まりません。
どうしても、自分が人格的に関わるような学習活動でなければ英語習得が効率よく
起こらないことがあるのです。
そういう事情を踏まえると、語学として割り切る授業より、生徒が人格的に関わる場面の
多い授業のほうが、結果的には語学としての成果もあがりやすいと考えられます。
これは、学力にはあまり関係がなく、takuo iwakataさんが想定されている
「中の上」や「上」の生徒たちでも事情は大して変わりません。
(勉強熱心な生徒でも、人格的には普通の中高生です。)
そういうわけで、「コミュニケーション重視」の英語教育は、政策的には経団連に代表される
経済界からの「英語が話せる<人材>を育成しろ」という突き上げが色濃く反映するもので
あるかもしれませんが、一方で、それ自体、学校教育の中での英語教育という場に
ふさわしい性質を宿したものでもあると考えられています。
さて、かなり長文になっておりますが、ここで私がやりたいのは、
takuo iwakataさんへの反論ではありません。
再度述べますが、私はtakuo iwakataさんのお考えには共感するところが大きいのです。
特に、内容の伴わない英語力に価値はなく、内容のあることが話せることこそ大事だ
という点に大賛成です。
実は、この点が、上に述べたコミュニケーション重視の英語教育との接点になってきます。
つまり、語学として割り切るにしても、コミュニケーション重視でやるにしても、
大切なことは、「学習者が英語で何を表現するか」。
これが確固としてないことには、英語学習など、どうにもこうにも進みません。
大人の場合は、すでに仕事のことなど、話すべき内容が確立していることも多いでしょうから、
その内容を表現するために英語を学ぶという姿勢が持てればよいのだと思います。
一方、学校教育の児童・生徒の場合は、話すべき内容がまだ確立していないことが多いので、
指導者の側から仕掛けをしていって、内容を掘り起こすことから始める必要があります。
そこが、「語学ゴリゴリ」と「コミュニケーション重視」の違いであり、逆に言えば、
この2つの違いは、その一点に過ぎません。
もうひとつ。学校の英語科教員でも実績を残している人は、必ず「文法、読解、作文、発音」を
しっかりと指導されています。まさにこれらは「基礎」であり、これらを鍛えつつコミュニケーションも
やっているというのが本当のところです。
ですから、takuo iwakataさんが、ご自身の経験をもとに語ってくださった英語教育のビジョンには
とても勇気付けられました。そのことに心より感謝申し上げます。
また、私たち教員も前を向いてがんばっておりますので、どうぞ暖かいご支援を賜れば幸いです。
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[投稿日時] 2010年 1月13日(水)09時43分29秒
[題名] 英語教育論
[投稿者] takuo iwakata
「自分が人格的に関わるような学習活動でなければ英語習得が効率よく起こらない
「これは学力にはあまり関係ない。「中の上」や「上」の生徒達でも変わりはない」
「コミュニケーションというオブラートに包まれた授業のほうが動機づけへの作用は高いことが予想される」
「学校は学習の場であると同時に生活の場でもある」
英語の先生のみならず教育者としての観点、かつ判りやすい解説、よく理解できました。
それでも、「学ばされる立場」の生徒にとってコミュニケーション(会話重点と理解します)が最適な英語教育内容(指導要領書)とお考えでしょうか。
私自身、あるいは自分の子供達の英語習得課程を振り返ってみても、会話体は中1までは、その新鮮さから、興味を持って接しましたが、その後は内容の非現実性に飽き飽きして興味を失ったように記憶しています。
というより、私の場合は、中3のときに実際に米人と会話をしてみて、全然わからなかった、通じなかった、単語力が圧倒的に不足していた、という経験から英語に興味を失ったように思います(成績は一応5でしたが)。
私が英語に本当に興味を持ったのは、自分が興味を持っていた「ヨット」について最新の情報を得たかったからでした。当時、最新の情報は英米のヨット雑誌でしか手に入らなかったのです。息子の場合は、歌でした。高校時代にバンドのボーカルをやっていて、否応なしに英語の歌詞の意味と発音を正確につかむことが必要となったのです。娘の場合は童話でした。高校時代に童話を勉強しているうちに、「外国の童話はどういうのだろう」と興味を持ち出して原書に接するようになったらしいのです(童話を読んだり書いたりすることは子供のときからの趣味でした)。
ちなみに、私の場合、会話ができるようになったのは、社会人8年目に海外支店勤務となってからです。着任後2ヶ月ほどで生活に関する会話には全く困らなくなりました。日本にいた時は、ほとんど毎日のTLXのやり取りで、英語はなんとか書けるようになってはいましたが。
我が家の家系は本筋(学校)からはずれたところで勉強するのかと思い(笑)、英語ができる会社の友人に尋ねてみたことがありますが、友人もやはり、中学、高校時代に本筋からはずれたところ(オーディオ関係の雑誌)で英語を勉強したことが判りました。
ということは、趣味、興味のある物の長文読解で初級英語の力をつけたということになります。趣味、興味がバラバラな生徒の集まりにこのようなものを使って一斉授業をすることはできませんが、ちょっとした工夫で(例えば4っつの趣味グループに分かれている教科書を作るとか)非現実的な会話体を学ぶよりはるかに動機付けが強いと思われてなりません。
読解は「蘭学事始」よろしく、グループでガヤガヤやって、判らなければ先生が仲介して手をとって教える。文法は、各グループが遭遇した新しい表現例を使って先生が解説する。読みは付いているCDでオーバーラッピング、シャドウイングで家で磨く。このような授業は夢なのでしょうか。
政治家と金、JAL騒動、なんとも悲しいことが続く今日この頃ですが、山岡先生のようなお若い先生がいらっしゃることを知り、大変勇気付けられています。そのことにも、ありがとうございますと言わせてください。
深夜に投稿されたようで申し訳ございません。ご返事はおヒマなときで結構です。
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[投稿日時] 2010年 1月13日(水)23時53分59秒
[題名] Re: 英語教育論
[投稿者] 山岡大基
> takuo iwakataさん
> それでも、「学ばされる立場」の生徒にとってコミュニケーション
>(会話重点と理解します)が最適な英語教育内容(指導要領書)とお考えでしょうか。
煮え切らない言い方ですが、「コミュニケーション(会話)」の質次第、
としか言えないように思います。
単に会話の場面を模した教材を使って役割練習をするという程度の皮相的な
「コミュニケーション(会話)」しかやらないのだったら、効果は薄いでしょう。
では、どのような「コミュニケーション(会話)」だったら効果的なのか、といいますと、
まさに、takuo iwakataさんのおっしゃった、これ↓だと思います。
> 私が英語に本当に興味を持ったのは、自分が興味を持っていた「ヨット」について
> 最新の情報を得たかったからでした。当時、最新の情報は英米のヨット雑誌でしか
> 手に入らなかったのです。息子の場合は、歌でした。高校時代にバンドのボーカルを
> やっていて、否応なしに英語の歌詞の意味と発音を正確につかむことが必要となった
> のです。娘の場合は童話でした。高校時代に童話を勉強しているうちに、「外国の
> 童話はどういうのだろう」と興味を持ち出して原書に接するようになったらしいの
> です(童話を読んだり書いたりすることは子供のときからの趣味でした)。
学習者自身が強く関わりを感じている内容についての「コミュニケーション」だからこそ、
その内容を表す英語に対しても学習動機が生まれるということではないでしょうか。
takuo iwakataさんがこのお話を出してこられたのは、「会話 vs 読解」という
対立軸においてかもしれませんが、私は両方あってよいと思っています。
学習者自身が価値を感じている内容について知りたいと思えば「聞く」「読む」技能を使いますし、
自分の知っていること・考えたことを誰かに伝えたいと思えば「話す」「書く」技能を使うからです。
実際の授業のマネジメントという観点から申しますと、たとえば、
会話の中で自分の伝えたいことを伝えようとする(会話)
↓
うまく言えない
↓
どのように言えばよいか教材から学ぶ(読解)
↓
学んだ表現を使って再度会話に挑戦してみる(会話)
というようなプロセスを作ることもできます。
この場合、いきなり「読解」から入るより、一度「会話」に挑戦し、失敗することで
何を学べばよいかが明確になるため、「読解」の必然性がより高まるという面があります。
会話にせよ読解にせよ、そこでの言葉のやり取りに、学習者自身がどれだけの価値・重みを
感じているかというのが問われるべき点なのだと思っています。
(もちろん、機械的なトレーニングにも価値はありますが、ここではその話は置いておきます。)
ただ、誰かに「会話偏重と読解偏重ならば、どちらがマシか」という問い方をされるとしたら、
「読解偏重のほうがマシだ」と答えます。
理由は、経験的に言って読み書きの力のほうが安定的に残りやすいものであり、
学校を終えた後に学習する際の基礎となるからです。
この点は、takuo iwakataさんと見解が一致するのではないかと思っています。
なお、学習指導要領は、さすが公的文書と言うべきか、4技能のどれにも
偏らない書き方がなされています。
それに、英語(外国語)の場合、学習指導要領で規定されている内容は大綱的なものにすぎず、
多くの場合、それで日々の授業の内容ががんじがらめに縛り付けられるというような性質のものではありません。
最近の学習指導要領では読み書き偏重を是正して「聞く・話す」もバランスよく扱うように、
という方向性が示されてはいますが、それは和訳だけで終わってしまうような授業、
音読・シャドウイング・ディクテーション・暗唱のような語学的トレーニングすらやらないような授業
をターゲットにして言っているのであって、takuo iwakataさんがおそらく問題視されているであろうことより、
もっと次元の低い話です。
> 読解は「蘭学事始」よろしく、グループでガヤガヤやって、判らなければ先生が仲介して手をとって教える。
> 文法は、各グループが遭遇した新しい表現例を使って先生が解説する。読みは付いているCDでオーバーラッピング、
> シャドウイングで家で磨く。このような授業は夢なのでしょうか。
良いですね。
生徒の必要性に応じカスタマイズできる授業、良い意味で学習が個別化されている授業、と言えるでしょうか。
上手な授業マネジメントが要求されますが、当世風の授業でわりと試みられていることかもしれません。
具体的で興味深いお話をいただき、ありがとうございました。
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[投稿日時] 2010年 1月14日(木)16時04分24秒
[題名] 英語教育論
[投稿者] takuo iwakata
山岡先生
>煮え切らない言い方ですが、「コミュニケーション(会話)」の質次第、
としか言えないように思います。
そうですね。コミュニケーションが含む範囲は広いですから。
先生とのやり取りを通じて、私が日ごろ考えていたことが、あながち見当ハズレでないことが判り安心しました。また、山岡先生のような方が必ずしも指導書のいっていることに賛成されていないこともわかり、ほっとしました。
実は田尻悟郎、中嶋洋一、管正隆先生(ご友人かもしれませんが)たちが書いた本を読んだことがあるのですが、会話主体の中学英語教育に疑問を抱かずにおられるのを知ってビックリしたことがあります。素晴らしい授業を工夫されているのですが、土台が曲がっているのを気がつかれていないような気がしてならなかったのです。そこで、山岡先生のお考えを知りたくなったわけです。
次の質問に移ります。お時間のあるときで結構ですから、ご返事いただければ幸いです。
先生のような現場からのお考え(会話主体を少し見直してはどうか、読解偏重のほうがまし、あるいは新しい英語教授法の採用)を文科省に反映する仕組みはあるのでしょうか。
素人からみていると指導要領書というものは、たしかに玉虫色で、現場や社会のニーズを反映されて作られているとは思えないので質問する次第です。小学生英語も中学との連係は考えないといいますし、なにかちぐはぐな感じがしてならないのです。
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[投稿日時] 2010年 1月17日(日)11時37分50秒
[題名] ニーズを反映させる仕組み
[投稿者] 山岡大基
> takuo iwakataさん
> また、山岡先生のような方が必ずしも指導書のいっていることに賛成されていないこともわかり、ほっとしました
学習指導要領自体というよりは、学習指導要領の偏った解釈・浅薄な解釈に基づく授業論、ですかね。
前回も書きましたが、学習指導要領自体は大綱的なものに過ぎません。
書かれていることは、「生徒にこんな力をつけなさい」という目標と、語句と文法のような
言語材料だけで、授業のやり方には踏み込んでいません。目標が達成できるのなら、やり方は
それぞれの現場の先生におまかせしますよ、というのが学習指導要領の基本的な姿勢です。
高校の新学習指導要領の中の「授業は英語で行う」という文言が問題になったのは、
そこに踏み込んでしまったからという側面もあるように思います。
「会話重視」についても、指導要領自体にはそういったことは書かれていません。
あくまで4技能全ての力を伸ばすことが目標になっています。
国が公式に出す文書ですから、ありとあらゆる方面に気を配って作成されていて、
そうそう偏ったことは言わないものです。
ただ、それを受け取る側が、これまでの反動から「会話重視の授業」を過度にもてはやし、
他の面をおろそかにしてきた風潮はあると思います。田尻先生、中嶋先生、菅先生にしても、
決して読み書きをおろそかにするような授業をされているわけではないはずですが、
この人たちから学ぼうとする人の中には、どうしても「会話」の部分に興味を持つ人が多く、
メディアでもそれだけクローズアップされやすいきらいがあるでしょうね。
> 先生のような現場からのお考え(会話主体を少し見直してはどうか、読解偏重のほうがまし、
> あるいは新しい英語教授法の採用)を文科省に反映する仕組みはあるのでしょうか。
> 素人からみていると指導要領書というものは、たしかに玉虫色で、現場や社会のニーズを反映されて
> 作られているとは思えないので質問する次第です。小学生英語も中学との連係は考えないといいますし、
> なにかちぐはぐな感じがしてならないのです。
社会のニーズについては、文科省としては取り入れているつもりでしょう。
というのは、たとえば、経団連による意見書「グローバル化時代の人材育成について」
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2000/013/index.html
を受けて、「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/020/sesaku/020702.htm
を作っており、それが学習指導要領や諸々の外国語教育政策に反映されていますので。
ただ、「経団連のニーズ」を「社会のニーズ」としてよいかといえば、これについては批判はあります。
takuo iwakataさんのおっしゃるような「訥弁英語でもよいから内容のあることがしゃべれる大卒者」
という基準とも相容れないものですよね。私は後者の方に賛同するのですが。
他には、いちおうは、政策を決定していく中で「パブリックコメント」の募集というシステムがあります。
実際には「ご意見拝聴」のポーズだけで、ほとんど反映されないのが実態ということも多いようですが。
ただ、文科省とて愚者の集まりではありませんから、現場の教員の協力も得ながら、
いろいろと制約のある中で、できるだけ良い政策を出していこうとしているのだとは思います。
公の立場で言えることには限界もありますし。
もちろん、だから文科省や学習指導要領を批判してはならない、などということはないわけで、
議論すべきところは議論し、批判するべきは批判し、より良いものを作っていくことが大事なのだと
思います。きわめて当たり前のことですが。
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[投稿日時] 2010年 1月17日(日)14時36分23秒
[題名] 経団連要望
[投稿者] takuo iwakata
経団連の要望だったのですね、会話重視の発端は。少し驚きました。理由を書きます。
私は海外勤務していた若いころに、来訪された経団連御一行と現地の財界との会合のお手伝いをしたことがありますが、経団連の方々は立派な訥弁英語で内容あることをしゃべっていました。ですから、経団連があのような、日本人にとって非現実的な要望をだすとは私には思われません。ということは、経団連の上層部(実際に英語を使って仕事をした経験がある)と、アンケートを作り、要望を作った経団連の事務局(実務で英語を使ったことがないと思う)の間には英語に関して認識ギャップがあるものと思われます。あるいは、経団連の教育担当上層部の方が、たまたま英語に見識の浅い方だったのかもしれません。
もう一つ問題がありそうです。経団連のその種のアンケートは、会社の役員室から担当の部署、すなわち英語ならば、ほとんどの企業が採用試験にかかわる人事部に回されるでしょう。私のように実際に英語を使っている部署にまわされる可能性はごく低いのです(第一線は忙しいので、万一回ってきても、適当に回答するのがほとんどだと思います)。
企業の人事部というのは人事一本やりで来た人がほとんどなので、英語は大学時代以来接したことがない人達といってよいでしょう。そういう人達が回答したアンケートを集めても、現場が欲しいものとは異なったものになってしまう可能性が高いでしょう。
ほとんどの企業がTOEICを珍重し、英検を下に起きますが、その理由も上記のことにあると私は考えます。数日前の投稿で、英語に関して私が人事部長と衝突したことを書きましたが、その原因はTOEICと英検のどちらが企業実務にとって役に立つかということが発端でした。英語に関しては私のほうがはるかに上ですから、議論にならなかったのですが、結局、「大多数の他の企業がTOEICを使っているから」ということで人事部長は私の意見を退けました。親方日の丸であった英検と民間企業のTOEICの営業力の差にすぎないと思うのですがね、TOEICが企業の圧倒的支持を受けているのは。(山岡先生はどちらかと言われれば、英検支持派と信じて書きました。当たっていることを祈ります)
以上、企業OBの、裏話的な推測を書いてみました。ご参考になれば幸いです。
山岡先生のご健勝とご発展を心から祈ります。ありがとうございました。
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[投稿日時] 2010年 1月17日(日)22時36分39秒
[題名] ありがとうございました
[投稿者] 山岡大基
経団連内部のこと、そして企業内の部署の違い、「なるほど!」と思いました。
私は、もう教員一本でやってきていますので、企業のことを、ほとんど何も
知りません。ですから、このようなお話はとても新鮮で、興味深く感じました。
それから、英検は主たる客層が中高生ですので、企業ではあんまり好かれないのかと
思っていたのですが、実務でも英検が役に立つとおっしゃるのを聞いて安心しました。
日々自分がやっていること、考えていることを今一度振り返るよいきっかけを
いただきました。また、私の長い文章におつきあいくださいまして、ありがとうございました。
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[投稿日時] 2010年 1月19日(火)10時07分58秒
[題名] 企業英語の現場
[投稿者] takuo iwakata
ご参考になればと思い書いてみました。
日本の企業で使われている英語の種類と要求される英語力は業種によってことなります。
大きく分ければメーカ(含む商社)か金融か。メーカの中でも、受注生産企業か見込生産企業(大量生産企業のように販売ネットワークを持つもの)かになります。受注生産企業が一番広い守備範囲を客先等と直接交渉し、難度も高いと思われるので、それで説明します。
受注生産企業の英語(プロジェクト物:プラント、重電・重工業、鉄道、土木建築、工場建設など)を仕事の進む順番に説明します。
1.情報入手 (現地支店、代理者などからのメール 読む英語)
2.プレゼンテーション(自社、製品、実績などについて書き、説明し、質疑応答ができる 英語力)
3.スペック・イン(自社に技術的に都合のよい要求書を出させるための作業。技術交流を 通じて行う。技術について説明する英語力と、技術交流につきものの宴会での英語力)
4.入札資料理解(要求書、契約書ドラフトを正確に読む英語力)
5.応札資料作成(仕様書、所定の価格表と説明資料を書く英語力)
6.契約資料作成(仕様書、契約書を交渉しながら修正する英語力、打ち合わせしながら書7.工事進捗中資料(定期報告、仕様変更要求、トラブルに関わる英語力、主として書く英 語と現場での話す英語)
8.クレーム処理(主として読んで書く英語、場合によっては裁判で闘う英語)
9.上記全ての過程に関する現地支店、代理者との打ち合わせ(メール、電話、口頭)
契約資料については我々(営業+法務+設計)が作成しますが、最終的には法務が雇う弁護士にチェックしてもらいます。図面がついているので、英語的には傍で考えるより楽だと思います。
契約書にはだいたい標準契約書があり、それを個別の仕事にあわせて修正したものを使います。法務は当然として、営業も設計も予めそれにはかなり精通していますので、百ページ以上という厚さの割には大変ではありません。ただ、金のやりとりの章と追加/削除の章には大いに気をつかいます。
裁判になるときは、口頭・書面で前哨戦が行われます。これは、技術論とか経験でわかることが多いので、我々(設計+営業+法務)が共同で対応します。一旦裁判になったら、我々は裁判地(ほとんどが英語国)の弁護士の補助を英語ですることが仕事になります。法廷で我々が直接英語で闘うことはまずありません。
以上からお判りのように、聞いたり話したりする場面は読んだり書いたりすることよりはるかに少ないです。それがある場合は、どちらからというと身内である代理店とか弁護士が相手なので下手な英語でも十分に通じるし、役立ちます。
電話などで込み入ったことを話す場合は折り返し、メールで「This is to confirm today’s telecom.」とやることが暗黙の国際ルールになっているので間違いは起きません。
ということで、企業で使われる英語はNHKのビジネス英会話とは内容も水準も異なるものです。むしろ受験英語の英文解釈と英作文にかなり近いものだと思います。だから、TOEICより英検のほうを私は重要視しているわけです。また、若いときから、こういう修羅場を優秀な成績で通り抜けてきた経団連の上層部が「会話力重視」なんていう訳がないことの傍証でもあります。事務局はNHKビジネス英会話をきいている方かもしれませんね。
このようなことをやって来た者が海外勤務になると、1−2ヶ月で生活会話と自社内ビジネス英会話には不自由しなくなります。それから先は個人の努力と能力次第ですが。
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[投稿日時] 2010年 1月22日(金)23時16分20秒
[題名] Re: 企業英語の現場
[投稿者] 山岡大基
> takuo iwakataさん
たいへんご丁寧に情報提供をしてくださり、ありがとうございます。
ただただ「そうなのか!」と思うばかりです。
私などは企業で使われる英語に現場で触れることがありませんから、
せいぜい「ビジネス英語」とか「会社で使う英語」のような名前の付いた
教材を通してイメージするしかありませんでしたが、
このように仕事の流れを追ってみると、見えてくる様相がガラリと
変わったように思います。
「参考」どころではなくためになりました。
ありがとうございました。
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[投稿日時] 2010年 1月23日(土)13時01分34秒
[題名] 企業英語の現場
[投稿者] takuo iwakata
少しお役に立てたようで嬉しいです。
差し出がましいとは思いながら、このような情報を差し上げました。その理由は、英語教育の議論(含む指導要領書)においていつも「実用英語」を中心とすべきとは言われながらも、数的に一番多く日本で使われている企業英語が何であるかについて、フィールド研究がされずに、議論されているからでした。
私のような素人の分析ではなくて、先生のようなお若い専門家が研究、分析してくださり、その上に、「日本の英語教育はどうあるべきか」の方向を打ち立ててくだされば、我々老人としても嬉しい限りです。
最近はどうか知りませんが、数年前までの「NHKやさしいビジネス英会話」は英語国での現地企業にでも就職しないかぎり必要がないような内容でした。あれを「コミュニケーション能力の向上」の目標にしているならば、それは日本人の99.99%にとっては不可能な目標だと考えます。
私も何度か合弁会社の役員会に出たことがありますが、自分の専門に関することですから、受験英語でなんとか物にした読解と作文力と、お伝えしたような実戦で鍛えた無骨な英語で十分に仕事の用は足りますし、その方がまぎれがなくてよいと思います。さすがに、夜のパーティとなると「NHKの教材みたくペラペラだったらな」と思うこともありましたが。
勿論、霞ヶ関のキャリアなどには、恋を語れるような、もっと高い水準に行ってもらいたいと思いますが、これは別ルートの教育とすべきだと考えます(事実、キャリアを入省後に留学とか大使館にアタッシェとして勤務させることが多いので、そうなっている)
先生のご健闘を大いに期待します。